間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

おいしい旋律。

フィルハーモニーにいて、(十)音ときて、律(動)ときたので、次は旋かな。

 

グレゴリオ聖歌を歌いに、今日も行ってきました!
旋法を「味わう」ことがとても新鮮でした。


協、不協の差し込みといったものにはとても身体が反応するし、
音楽の色香もそこに感じる質で、
つまり、「同時に鳴っている」音の刺激度合いとか、
発している人の関係のほうに想いを抱きやすかったのですが、
旋律のことは、長短、無調ぐらいとしか。


それが教会旋法を学んでいると、
自分ひとりが歌っていることの音の並びにいちいち反応するようになるんですね。

 

旋法って、よくいう長音階短音階とか、「調」とは違って、
半音と全音の並べ方のバリエーションのこと。
同じ音から始めてそのバリエーションを一つずつ声に出してみると、
音の色や味が変わるという感覚がある。

 

自分にしてはめずらしく、考えるよりただただ感じて、味わって進む感じでありがたいです。優等生になろうとかいうことを完全放棄しています。

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あと、音楽って、専門教育受けたとか受けないとかより、
ちがいを感じて喜んだりするものでもあるので、
数聴いてぐっとくるものをキャッチすればいいですよ。

 

今日は夏日でしたね。
大根をピーラーで削って干して1日干していますが

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薄いせいか、いい干され具合です。
これは半分。
大根1本のおいしさが、ひょろーっと、かご一杯分に凝縮していきます。

立夏の律動。

5月に入ってから、5:00起き生活を始めています。
今は4:40過ぎには日の出なので、目覚めるとすでに新宿や池袋のビルに朝日があたっていて、幻想的。


毎年、ベランダの手すりの錆びた穴を雀の夫婦がお借上げ、
子雀が生まれているので、日が昇ると賑やかです。

朝が苦手な自分の早起きのコツは、目覚ましが鳴ったら、何も言い訳を考えずにシャワーに直行すること。その姿は夫曰く、「男」らしい。何も考えていないだけなんですが。頭が働かないうちからお湯を浴びます。今にミントの精油を使おうと思っています。


うちは朝も割としっかり食べます。
夜は炭水化物を摂らないので、昼食が一番パワフルです。

 

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早起きをすると、
時差ぼけで早く目覚めてしまう旅のことを思い出します。
今年は海の外へは出ないことになりそうですが、
勉強してみようと思っていることがいくつかあって、
中身のスキルを増やす時なのかなと思う。
番頭も抱えている仕事があるようだし、ますます「オフィス十音」的な部屋になっています。

 

過ごしやすく、日が永く、ご飯とお酒がおいしい季節なので、何日間かは休みをとって、友人と食卓をしたいものです。

 

元号も素敵ですが、二十四節気のほうが、自分には促すものがあります。
今、季節は「立夏」。
個人的に逼迫した興味があるのは、水に流しても口に入っても毒ではない、オーガニックナチュラルな日焼け止め。

野口晴哉『整体入門』

最近、風邪を引いていない。風邪もタイミングを見て自分の中から引き起こさないといけないかなと思った。この本を読んで。ちくま文庫

 

◆「整体」という言葉に抱いていたよりも自分よりだった、
「体を整える」ことについての哲学。

・体の中に起こる勢い/体力を呼び起こすのは「勢い」

・背骨へ気を通す。

・感情の苛立ちというのは血液循環の変動なのです。

・健康というものは自分で産んでいかなくてはならない。

・活元運動や相互運動をしていると、病気を治して丈夫になろうというような考えなど無くなって、自分の体力を発揮して丈夫になることを考えるようになる。

・一つの病気が有名になってくると、だんだんそういう傾向が起こる。

 

 

◆症状から体を引き離すための、具体的な養生法。行動について。

・喉とか泌尿器などに痛みを感じる場合は、「足湯」といって、踝が隠れるまでを、普段んお入浴温度より三度高い湯の中に入れる。消化器に異常のある人は、同じようにして膝の隠れるまで湯に入れて「脚湯」をする。

・左偏りの人は便秘しやすい。そこで意識して左の歩幅を広くするようにして歩くと、大便が出てきます。

・蒸し暑い時は身体を積極的に動かし、息苦しくだるい時は深呼吸すると、そういう感じは薄らぐ。

・梅雨期の風邪は汗を引っこめた捻れ風邪。

 

 

◆そして、「あとがきに代えて」にあった、単語「調子」。

・自分の感じの中を確かめ、体の調子を知ることが管理の最初の問題なのだから、他人より自分が主役であるべきです。

 

***

 

温かく過ごしやすい日のはずなのに、
部屋で身体の芯が重く足首も冷えているような時。

 

血の巡りをよくして、身体の捻れを改善するよう動くしかない。この本の中には印象的な言葉としてほかに「他人の大便を出すために気張る」とか「自分の大便を出すために他人に気張ってもらう」などというのがあって(笑)。たしかにそれだとセッションは成り立たないですね。

 

自分の一押し、一押しが、「気を差し込む」ような作業なのだということにまた気を引き締めて参ります!

 

自分が「どこにいるか」が分からなくなるのと同じように、「何をしているか」が分からなくなると心が沈んでしまう。セッション内の所作ひとつひとつに意味があるはずなのですが。

喜びの予定。

土用が終わり、わたしの中の土も整ったと感じる。
わたしの小さな庭の土も立夏の到来で整えた。

 

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他人の家のこども、ペット、植物、ごはんの写真など、
本人が思っているほど興味深いものではないのではと正直思うのですが(笑)
自分の喜びの記録に、撮ってしまう。


過去のブログを少しずつ移していて、
1,2年前のその日の自分が喜んでいるということを喜ぶ自分がいたりもする。
(悪いことに、それをまたSNSでシェアして、他人に読んでほしいとアピールしたりして)

 

そうしたら、野崎さんから借りている角幡唯介さんの「日々本本」に、
「自分が駄目になったということを、作家はどうやって知ると思う?」「インスピレーションを求めて、過去に自分が書いたものを読み返すようになったら、もうおしまいなんだ。それが絶対的基準だ」(レイモンド・チャンドラーロング・グッドバイ村上春樹訳)
が引用されていて、おしまいじゃーと思いました。でもわたし、作家じゃないからいいやと思いました(笑)。

 

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春のテーマが怒りの扱い方。
夏のテーマは喜びの味わい方。

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夏を喜び尽くし、喜びすぎないように、
1mmにも満たない直径の種を土にまく。
敢えて喜べるシチュエーションを用意して、完全燃焼を促します。

大体5月の後半ぐらいにくる不穏な感じは、自分のイマココが分からなくなるからだとわかりました。
だからこの5,6月は、自分の足を否応なしに運ばせてくれるルーティンワークや、「予定」を作ることにしています。セッション可能日も随時変わっていくことが予想されますので、早めにチェックを。


初夏から梅雨の不調に備えて、すでに3回のセッション予定を宣言してくださっているクライアントも何人か。流石。

 

十音は、近日開室からのセッション回数600回を超します。

五行の音を聴くような。

先週末は毎夜出かけていました。
2つのコンサートと、1つレクチャーコンサートへ。

 

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3つの客席に座っていて、自分の「聴き方」が昨年までとはまったく違ってきていることに気が付きました。

 

好きなメロディ、フレーズを追う(もしくは、好きなメロディがないと飽きる)というのではなくて、確実に、音色の組み合わせを、夕焼けや雲の形が刻々と変化するのを認識するように、味わうようになっている。

 

例えばクライアントにご縁をいただいて伺った東京佼成ウィンドオーケストラ

 

ウィンドオーケストラはほとんど初体験で、弦楽器も入ったオーケストラに較べると「風度」が高いのかしらなんてつぶやいたら、「ともかく一度聴いてください!」ってお誘いいただきました。

 

前職は、弦楽四重奏木管五重奏、金管五重奏が学校やその他地域へ出かける、「出張音楽会」のアテンドをすることが多かった私は、ウィンド・オーケストラは金管合奏の響きに近いものだと思い込んでいたのですが、むしろ「木管五重奏」のほうに近い。

 

1曲目のミヨーの音楽から、木管五重奏の光景がばーっとよみがえってきました。
どちらかというと、華やかでポピュラーな曲を取り上げる金管の組と違い、木管五重奏は、洗練された響きのラテンヨーロッパや中欧の音楽を教えてくれました。特にフランスものの雅な響きに感動したのをよく覚えています。

 

弦楽器と管楽器の組み合わせのように、判りやすく発音体が違うことを味わうのと圧倒的に受け取り方が違って面白かったことは、「楽器の材質」が風合いとなって出ていること。
管楽器(と、少しの弦楽器、打楽器)のみで構成されたウィンド・オーケストラでは、「みな吹いている」からこそ、繰り出される音の風合いの違いが何から来ているのか気になってしまったということです。

 

例えば、
真鍮だな、とか、黒檀なんだな、とか。シングルリードなんだな、ダブルリードだな、水辺の葦なのよね、とか。リードを通さない、唇だけを音源に使う管楽器と、息を吹き口で分ける管楽器と。

 

オーケストラが鉱物と植物でできている森を吹き抜ける風みたいに聴こえてくるわけです。

 

粛々と揺さぶりをかける手技療法をやっていて、
一押しの質と、指の離れる瞬間の質を上げるというマニアックなところ(それも足の皮膚との接点だけ)にいってしまった自分は、とうとうこんなところまで、材質の組み合わせ(テクスチュア)で聴くようになったのかと、妙に納得してしまいました。

 

そういえば…管楽器の人たちに「残心」の所作がほとんどないことに、改めて衝撃を受けました。それまで、フルオーケストラを見ていて、スターの管楽器の方たちが自分の担当するフレーズを吹き終えるとすごい脱力する(姿勢が一気にくしゃっと崩れる方もいる)のが、「ああやって前のフレーズのことをすぐに忘れないと、次のソロなんて吹けないんだろうな」とは思っていたのですが。

 

そこに所作と残心という単語が浮かぶというのがまた…(笑)

 

残心て、私は高校生のときに知った言葉なのですが、例えば時代劇の剣道で、相手を斬ったあとの静止と振り返りの時間のことを想像してもらえばよいのではと思います。専門的に言えばもっともっと難しいと思いますけれど…!

 

文字通り、そこにこころを残して、きちんと収める所作ですね。

 

「パート」をきっちりこなしながら音楽を構築していくオーケストラにおいては、
残心よりも次、ということなのか。
誰かにフレーズを渡す、とか、「オレ、ここ吹いたぞ」とマーキングするような欲はわかないものなのか、興味あり。訊いてみたい…


最後に、わたしがコントラバス奏者から音楽の楽しみ方を知るのは、
コントラバス奏者って一番低音とか、弦をはじくとか、まさに底の力持ち役で奏でる音は地味でありながら、その1音にかける所作と残心が一番派手だからではないかと気が付いた。

 

セラピューティック・リフレクソロジストっぽいのだ。笑

 

そして、2夜めは「風ぐるま」その東京佼成ウィンドにもいらっしゃったバリトンサックスの栃尾克樹さん、わたしの声の師匠の波多野睦美さん(まさしくこの夜のパートは「声」)、そして高橋悠治さんのピアノ。

hatanomutsumi.com

 

数えない間の芸術。

 

と感じたが(高橋さんが休符を数えるようには見えがたい…)実際には、全部の「間」が違うからこそ、セッションするときには「数える」と波多野先生。深い。

 

モノオペラとか「反オペラ」とか、面白い。ピアノは漫画によく入っている「ぴきっ」とか「ザァーーー」とか、あの文字と同じような情報をわたしにくれる。バリトンサックスは、もうちょっと声寄りの情報を。

 

3夜めは、もっと「朗読」でした。それも聖書の「雅歌」の朗読。
第1部と第2部で、読み手と合いの手の奏者を違えた、雅歌のおなじ部分を聴く。

 

第1部では声優・俳優・歌手の池澤春菜さんが読んだものを、第2部で小説家の池澤夏樹さんが読む。訳し方が違うということよりも、色をつけない訥々とした男性の声と、色彩豊かな澄んだ女性の声で読まれるのとで、語りかけてくることの違いがはっきりして興味深かった。

 

わざとそういう組み合わせにしたのか、どうなのか存じ上げないのですが、第1部のタイトルは「教会で読まれるために訳された『雅歌』」、第2部は「純粋な恋愛の詩として味わう『雅歌』」。朗読者×奏者の組み合わせが反対だったらどんな風に感じたかなと思う。そして、つのだたかしさんの奏でるリュートの音が、古代イスラエルのつづれ織りを解くように、語り手の魂を引き寄せるようだった。

 

息から糸(それも材質は動物の腸だ)の震えまで。音を振動の材質から聴くような。

 

今夜はまた、ひとの振動を聴くセッションに戻っています。

雑司ヶ谷手waza市 28回目春夏シーズン

ゆるやかで刺激的な時間が流れました。

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28回目を迎えた本日の「雑司ヶ谷手waza市」ほぼ満席お越しいただきました。

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しかも他イベントのついでではなく、これを目指してメンテナンスに来てくださる方ばかり。

この状態に至るまでの2年ちょっとの間は谷あり、谷あり、本当に、いつも来てくださるあの人やあの人に一縷の望みを託して3人で施術しあいながら待ったこともある。

 

付き合ってくださった腕のいい、そしてそれぞれ雰囲気をもち、ひとを持て成してくださる、セラピストのみなさんにも。最近は姿を見せてくれませんが支えてくれた「番頭」 山崎 隆一 (Ryuichi Yamazaki)にも。1回1回の御恩は忘れません。


幸あれ。
よき令和をお迎えください。(と、あすちゃんから言われて思った)。

 
この「雑司が谷手waza市


ですが、
次回は5/19(日)。
30回は6/16(日)。
 
そのあとは会場費の値上がりをうけ、開催時間と価格の改定を行います。
 

れもんのあまさ。

甘夏ピールがとても上手にできそうなので、
気をよくして、
いただいていた国産レモンの皮を全部、剥ぐ。

 

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サクマドロップのレモンみたいにあわくて優しい形がころころ出て来て、
少しひるみました。


このあと、ひと房食べてみましたが、
やっぱりすっぱかったです。
甘くない。

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皮はピールにする準備をしていますが、
上白糖を使わないので、色はちょっと暗くなるかな。

 

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じゃん。
これ、全部れもんです。

歳をとり、ガタが来て刺激に手指を使えなくなったら、
薬草酒で刺激を入れるばあちゃんになろうと思っているので、
今から抽出に関していろいろ実験しているのです。


といいいながら、仕込んだら「待つ」だけなんですけれど。

30年待てるのは、今が最後かもしれない、と思って。
今始めなくてはいけないことは。あとどれくらいあるのだろう。

 

本日入籍の記念日です。
賃貸契約の更新の関係で、比較的早くに同居を始めたのですが、
まあ1年暮らしてみてから、ということで婚約者でもない、「婚約予定者」という変な続柄で部屋を借りました。

 

1年仲良くやれたので、じゃ入籍するかとなりましたが、当時の豊島区役所の休日受付は地下の駐車場奥にあって、全くフォトジェニックでありませんでした。夫はそのあとギターのレッスンに喜々として出かけ、わたしは雑司が谷の手創り市をひとりで回ってピアスなぞ買っていました。笑

 

結婚式のかわりに金婚式をしたいものですが冥王星があと60度ぐらい動くまで待たなきゃいけません。2060年代には100歳になってしまうわたしたち。暦はまだまだ続くのに、そこまでしか見られないなんて残念です。

 

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