tonenoteトオンノオト 古楽のロビーから。
何年か前、舞台に出て来たこのメンバーを見た夫は「あれ、今夜の公演は演劇だったか」と思ったという逸話が我が家にはあるのですが、
終演後のロビーを見て、なんかリベラルアーツな学会でもあったんだっけな、と思うというのも、いつものこと。物販のブースから眺めております。
開演前には素通りだったこのブースにお客様がキラリとした眼で近づいてきて、黙ったまま何かと対峙でもするかのようにCDに手を伸ばす。
それが聴かれる現場を想像する。何か他と違うものを感じ取ってやろう、とするだろうな。感じ取れるだろうか、と問いながらお聴きになるかもしれない。
再び眼をあげれば、撤収時刻の迫るロビーで老若男女異界の人たちががっつり行き会って音楽家に笑顔で詰め寄っている。うわー。
固定ファンだけが集っているから落ち着くいつもの感じ、というのが全くなくて、なんだかいつも波乱を含んでおり不穏で、色も赤と紫と黒と金色みたいのが明度も光度もさまざまにのたうっている。ちょっと酔いそう。
このロビーの感じは、この団体特有のもの。
わたしを演奏会スタッフにご指名くださる音楽団体はどこもそれぞれ語りつきないのですが、この清濁の感じはサリクスカンマーコア以外のどこにもないのでした。
主宰の櫻井元希さんの自由な身体や、古楽を鋭利な刃物に他ジャンルへ切り込んでいくような精神によって、きっと古楽ファンというのでない新手の市場が耕されており、古楽ファンでさえ、自分の音楽でない部分が耕されて、血行が良くなってしまいああやって笑顔で詰め寄っているんだろうなとお見受けする。
( ↑ リンクを貼ったホームページ、冒頭貼ってあるYou Tube必見です。なんなんだろうこのひとーと思ったあとに、考えてみれば今までなかったの不思議ーと思い、これを世に放つ姿勢が刺客だよなと思います)
客席90名で、100名いかなかったかやばいなーアハハ、とか苦笑してオトコマエな事務局長から「がんばれ!」と背中どつかれていたけれど、サリクスのロビーに異界のひとたちが300名集まっちゃったら、わたし負けるな、鍛えなくっちゃ(何を)。
全ての音にネウマで向かい合う(かどうかは存じ上げないのですが)、横の流れの意識が半端ないので、だから彼らのグレゴリオ聖歌は神のところへ上っていく気がしない。ロビーでも聞き取れない。
舞台上で、音楽家同士で交わされているすごく親密な「オレたち人間して生きてるねー」てな会話を覗き観しているみたいでわたしは恥ずかしくなってしまい、リハーサルも端っこのほうの席にしか座れない。きっと神も気恥ずかしくてちょっと中心をずらして聴いている。
「生きてるときは、生きていることを忘れてしまうもんですが、生きているときに、生きていることを思い出させてくれるのが芸術ではないかと僕は思うのですが」と櫻井さんが言った。音楽ってスタッフしていても、色んなことを思い出させてくれますね。一人ひとりの物語があって。
— 十音の調子 (@tonereflexology) May 16, 2023
コロナ期を経て、ロビー社交の喜びが爆発している。あるいは、情がダダ洩れというか…脾経崩壊、ちょっと血と汗と涙を固摂しないと調子を崩しそうなぐらいの状態。
いやそれがふつう。そういうやわらかな土の時間があって、また高みを目指す木な時間を育て、自分に籠り刃物のようになる金の時間やそこから生まれる知識の水を巡らせて、それをこうやって土に撒く場があって、そうやって五行的に、生きていくもの。そういうめぐりが、大きく小さく、もっと頻繁に回っていていいのに、我々は諦めてきていた。
「初めてコンサートというものに来る」方もぜひ、この異界なロビーからデビューしていただきたいと思う。チケットって何よ、ロビー開場って何よというところから、この人数ならスタッフがお声がけできるから。そして笑顔で音楽家に詰め寄ってほしい。ちなみにティゲットのあのQRコードは、読み取るデジタルをスタッフが身につけておりませんで、いつもアナログですみません。
スタッフとしても、わたしが雇っていただく古楽専門団体の音楽やロビーには、にんげんにとても大事なルーティンが繰り広げられて、喜びとか、使命とか、いろいろと思い出させてくれる。忘れないようにしようと思って、ツイッターのプロフィールを書き換えました。
(あと、会場への行き来で、やっと『森の生活』上巻を読み終えたことをご報告します。下巻は移住後かな…)
照れ屋の視点。失礼ながら観察していると可笑しい。音楽の合間には獣の声や風の音が響く。ここは密林か。
左下、ここではステージを担当される大塚さん兄弟の空気がまたすばらしいんです。裏方の性質は大事。それを集めるのも音楽活動なのでしょう。