tonenoteトオンノオト オデュッセイア17-391どうぞお題を。
十音も開室して7年たちましたので、
7年日記のように同じ季節のころの文章を読む楽しみがあります。
reflexologytone.hatenablog.com
過去の自分の作品を読み直すようになったら、作家はおしまいだ!
らしいですが。作家じゃないですし。
残らないコトを商行為として差し出そうとするとき、言葉で綴ることをどうしても求められます。
昨日も、サリクスカンマーコア の葬送音楽ばかりを集めたコンサートというののロビースタッフをしていて、(ミイラ職人的リフレクソロジストがロビースタッフをしている葬送音楽ばかりのコンサートなんて、世界中にここだけしかなかろう)
会場内では神にさまざまな安寧を訴える高尚な言葉がうねっていたのに、
ロビーではカメラマン&録音技師さんと「どうしたら音楽売れるかね」などと世俗的な話を繰り広げており、そこで彼が、「ライブをするしかないですよ。今は『体験』!」と言いきり、
でも、そのライブにお誘いするのが難しい、
と音楽と施術のさかいめがあいまいな十音はぼんやりと思う、たしかに…
施術も草の根運動、普及活動、啓蒙活動、お客さま、私たちの提供するコトをどうかご体験ください、からの Herr, ich lasse dich nicht, du segnest mich denn
という「祈り」の域を出られるだろうか、ここと執着の性質は紙一重。
施術に執着が入ると最悪なので、するりと抜けていたいと思う。
話しが飛んでしまいました。もう一つ言葉つながりで飛びます。
「お役立ち情報」ってなんだろうと考えています。東京セッション会員の特典として、SNSには載せない十音の情報と文章を、と思ったのですが、それがどれだけの特になり、人をよろこばせるのだろうかと。
途端にしぼみました。
有料記事やサブスクリプションというのはいわゆる、「お役立つ」情報でないとお勧めするのは難しいのではないか。そもそも、十音はお役立ちだろうか。とか。
そりゃこのブログのアクセス数を見たらしぼんで正解と思いますよ。
とここで私の思考は都合よく途切れてくれることになっています(^^♪
招かれる時、頼りにしていただく時、高田の小さなセッション室で、よく思い出す言葉があります。宮本輝さんが、『彗星物語』という小説の中で、引用させている言葉です。
予言者や病をいやす医者、あるいは船大工か、その歌で人の心を楽しませる尊い歌人のような、みんなのために働く人のほかは、誰がわざわざ自分からよそ者を招くものか
ひとはそのまま生きるだけでいいけれど、
招かれようとしたら他者をエンターテインしようと努力し、
時代が変わって逆に客人を招くようになった今も、
「わざわざ自分からよそ者のところへ訪ねて」きていただくために、
エンターテインをあらかじめお約束しないといけないのだと思う。言葉によって。
そしてその言葉の種類は、
解り易く効能、効果、影響、コスパやお役立ち情報もいいし、
もう少しグレイで「来たらわかるよ」という期待、待ち望むこと、希望のようなものでもいいし、
芸風によって選んだらよいのだ。十音がどちらであるかは、自他五行ともに認めるところです。
ちなみに、十音を本当に招き入れてくださる方は、SNS上にはいないことももう解っている。
わたしは一対一の偏ったサービスを志すので、「みんなのために」という言葉には、「たくさんの一人のために」という解釈をするのですが、
いつも、人のせいにしそうになる時、自分の手をじっとみつめて、言葉を紡げ!と叱咤激励する。
1000回を軽く超えるセッションの遍歴があるのだから、たたき上げ吟遊詩人なはずなのです。「どうぞお題を!」