tonenoteトオンノオト 調整は4-8時の間にと時計職人は言った。
いやあ、なぜ暮れと正月なんかがあるだろうと思っていたんですよ、
スムーズに(刻まずに)時が移るだけなのにって。
でも、そこでみんなガタが来るんだよね。ここの建物もそうで、いろんなところを直しに入っているけれど。
やっぱり、変わるのは4月からがいいね。
と、お煎餅のカウンターを前に、熟練の時計職人さんがにこにこと言う。
さっきまで時計の修理机の前で、あるブランドもののある種の時計が点検しても調整してもすぐに止まってしまい、修理に持ち込まれるのだという話をまるで推理小説が始まるみたいにしてくれていたのだけれど。
時計はアナログ。特に腕時計は秒針があり、チクタクと音をたてて秒を刻んでくれるものでないと落ち着かない。先日、夫の実家で衛星時計の時刻合わせをしたが、所定の場所から針がすぅーっと、音もたてずに回り出したときは気持ちが悪くなりそうだった。目が回る。そして、自分の身体のけじめがつかないという感じ。めまいの気持ち悪さは刻みがなくなることかもしれない。
薬店で倉庫に入り、ふと腕時計に目をやったら、ある時刻で止まったままになっていた。わたしはこの腕時計をソーラー電池式と間違えていて(文字盤に書いてある20BARという文字をSOLARと読んでいて)、実は電池が切れているのだと思い至らず、これは故障だ…と落ち着かない気分になる。秒針はけいれんのように震えていて、痛々しい。
次の日、完全に凍ったようになった時計を、目白が誇る時計職人「日本堂時計」に持ち込もうと自動ドアを通った…が、目に入ったのは「外出中」「本日は受け取りのみ」という貼り紙で、店の奥の部屋から高齢の女性がこちらをちらっと見たのが分かったけれど、状況が整っていないならまた明日来よう、と踵を返す。
「きのう来てくれましたよね?入って来たなと思ってたのに、出て行きましたね、(煎餅を)焼いてたからだよね?」とマイスターが言いながら今日は出て来て、修理机の前に座っている高齢の女性と席を換る。ここ「日本堂時計」は「味の店」というお煎餅屋さんと、なんというか、2つで一つで、ようは、熟練時計職人さんは手焼き煎餅職人さんでもあるのだった。
ふたが開かない、どうしてだろう、と苦戦しておられたけれど、わたしは手持ちの現金がなかったことに気づき、女性のお客さんがもう一人お煎餅を買いに来られたタイミングで、そこの銀行へ行って帰ってきます、といったん外した。カードが読み取りにくくなっているから職員を呼べと、ATMが言うのを無視して自分でカードを拭いてお金をおろし、店に戻る。今別の方法で開けられるか試しています、その方法がちょいと難しいんです、となんだか楽しそうにマイスターが言う。
見ていていいですかと訊いたらちょっと驚かれたので、覗き込まれるのはお嫌いとかではないですか、と訊き直したら、ぜんぜんそんなことはないですとのことだった。
結局電池切れであったことが判明し、「前回の電池交換の時の人が、すごく固くフタを締めたんだね、え、電池替えは初めて?じゃあ、機械がすごい力で締めたんだわ。パッキンが弛んでいないか心配だな…」と細い輪ゴムのようなものを「これはワックスね」と軟膏の容器のようなものに入れる。過剰な力で締めたフタについていたパッキンは、開けたときに無理な力がかかって伸びてしまうことがあるそうだ。案の定、少し伸びてしまったそれを、千枚通しのようなものを使いながら均等に埋め込み、時計を器具に設置、「やりすぎないように、ちゃんと締めます」と『ヒトの加減』で締めてくれた。
とにかく一つ一つの作業が自信に満ちていて、必ず直す、という感じなのだった。
曜日は英語がいいの?と訊かれ、漢字が良いです、と答えると、慣れた手つきで竜頭を扱いながら(一つ引き出すと曜日と日付、二つ引き出すと分針が前後できる、一つ引き出したときに手前に回すと曜日が進み、奥へ回すと日付が進む、これは共通のことらしい)、カレンダー付時計を使う人には注意して欲しいことがあるんですよ。とお話しくださったのが、冒頭の「止まる時計」推理小説。
20万円は下らない時計なのにね、引き取ったと思ったらすぐに止まってしまう。知り合いにオーバーホールも頼んだけれどやっぱり止まる。それで、止まった時に自分でいじらないで、そのままの状態でここにもってきてくださいってお願いしたんです、持って来て、私が直して、また持ってくる、いつも針は11時で止まっているの。
カレンダー付時計は、夜中の12時にカレンダーが次の日に切り替わるけれど、多くが11時ぐらいから日車の動きが始まって、日車にかかる負担が大きくなるの。
と言いながら、わたしの腕時計にも「その時」が来たらしく指ではなく固い鉄製キューブのようなもので竜頭をコンっと押し込む。
時針が12の近くにいる時、例えば11時ごろにカレンダーの日程を合わせようとすると、日車にさらに大きな負担がかかって、壊れてしまうことがあるんです。だからその止まっちゃう時計も、知り合いに日車をチェックしてみてくれとお願いしたら、案の定壊れていたね。ああいうブランド時計でも歯車はプラスチックなんだよ、それが摩耗しちゃうのね。
1年間未解決だった故障の原因は、止まる時刻が11時だということから、突き止まったという話。
その日車というのも、歯車なんですよね?と訊ねたら、ビニールに入ったそれを見せてくれた。直径2ミリぐらいの、確かに歯車なんだけれど、それは日を送るための歯車を回すための歯車で…アナログ時計は見事に歯車の芸術なのだった。いくつ歯があるかの組み合わせ。
「では午前6時か午後6時に日付調整するのがいいということですね?」
「4時から8時なら大丈夫だね」
電池交換1300円をお支払いするときには十音はマイスターの焼いたお煎餅を食べてみたくてたまらなくなっており、いまやケースにいっぱい並んでいるわけではないお煎餅を所望する。
そこで、奥の部屋で手を洗い、すっかりお煎餅やのご主人の顔になったマイスターが「いやー、不思議なものですね、お客さんの時計直していて思いました」と始まったのがこのブログの冒頭、
12月と1月の間に切り替えをしようとするから、機械はいろいろと故障するのかなという話だった。ここ10年ぐらいで祝日を変えて連休にくっつけてしまっているのもどうかという話になる。
まさに十音が「人間」で実感していたことだった。ああ分かるような気がします。私は接客業ですけれど、年末ぐらいからお客さんが少し歪んで、「変な感じ」になるんです。特にご高齢の方が。本来はまだまだ冬で2月から切り替えて3-4月に完全春仕様になる身体なのに、12月に終えて1月に切り替えなければと無理して、気が焦って、歪みが出ているという気がします。
「その歪みを誰が引き受けるかという話だね。やっぱり、変わるのは4月だな!」
その他、気に入ってなかった時計がいなくなったり、拗ねて止まる話とか、持ち主のもとに帰りたがった時計が修理前から動き始めるとか、スマートウォッチの時刻合わせはスマートフォンと連動しているだなんてオレ知らなかったから、一晩中考えてしまったとか、マンションの気密性の中で、時計が時を刻む音で眠れない子が増えてきて、そういう子に刻まない時計を選んであげること、でもデジタル時計じゃ角度が学べないな、アナログなら地球の公転が学べるし、歯車がかみ合うということも学べるんだけれど…と言ったガチトークを繰り広げるマイスター。
歯車を扱う方と、足を扱う者が時計を肴にホリスティック調子を呑むような。
包装しちゃっていいですか?と下さったのが、
こんな粋な小包み。
サザエさんとかで、酔っぱらった浪平さんが宴会料理をこんな風に持ち帰っていなかったっけ。帰り道もなんだかうきうき。
奇しくも、2/28-3/2 の Kineticosによる筋膜解剖ライブストリーム「歩行の解剖学とダイナミクス」をえいやとポチったところだった。
タイミングというのはよい言葉だと思う。そのタップをスタートに、十音の人生にとって大きなことが一つ動き始め、始まりを予告してくれる大先輩職人に会い、時計が再び秒を刻んでくれるようになった(しかも今は時報までぴったり)。
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1‐3月は社会システム上の日付合わせの歪みが身体に出る時なのだ。無理に1月をスタートにしようとすると、冬仕様の身体で気ばかりが焦り、だるくなったり、不安の火がちろちろとくすぶったり、思うようにいかなくていらいらしたりする。
冬なのに春のような陽気で風が強くなったりする日は特に注意が必要だ。
身体と気がずれると言葉がうまく出なくなる。
五行論は旧暦のサイクルでの調子語りだから、今の社会システム上の始末に当てはめるより、二十四節気の春夏秋冬で身体に問うていくとしっくりくる。なにしろ今は小寒、これから大寒。まだ冬仕様で冬眠中。旧暦だと今など師走が始まったばかりだし、もうすぐ冬土用が始まるわけで。
長く寝て、ゆったりした服を着て、魂胆はまだ練っておくのがいいのかも、しれませんよ。十音もまだ、ぼちぼちです。