間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

革製品(2)

昼以降に外出することがほとんどないので、

すっかり遊び方が下手になってしまい、

自分の酔っぱらい加減を客観的に、しかもリラックスして測ることができなくなっているようです。

パブでエールを呑みすぎ今日は頭痛がするため、

なんにもはかどりません。

何やってんだか…

  

ちょっと悪酔いした原因は他にもあって

飲む前に愛用の革鞄を修繕に持っていったのです。

 

そこで職人さんとのつなぎ役の若い店員さんから貰った言葉のネガティブ度がすごーく高くて、巻き込まれてしまったのでした。

 

まずひと目見て「ここを繕ってもほかが破れると思いますけど」が第一声。

 

客が自社の製品を長く使っていることに対する感慨は全くなかったようで、まずその使い込まれた姿を批判するってひどいな、と思ったのですが、

 

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いきなりのジャッヂにたじろぎつつも、

「見栄えが悪くてもいい、夢中になってずっと使ってしまい手入れを怠り、ここまで症状を悪化させたのも謝る、でも気に入っていて10年以上使っているかばんなので、これからも使えるようにしてほしい」

とまずは伝える。

 

若者はやっかいなのが来たな…とばかりに無表情に「では…中で訊いてきますね、店内をご覧になってお待ちください」とすぐ後ろにいる職人さんのところへ言って可能性を訊ねてくれた。

 

ずいぶん長く話し合うなと思ったけれど、返ってきたのは、

 

「ここから先の皮をとって縫い直すことはできます。それで1万円です。でも、他の古いところと質感はアンバランスになります。そして、そのあとここと、ここも擦れていて直していくと片方3500円、とかかってきます。すると新品を買うよりずっとコストがかかってしまいます」という言葉だった。

 

その時点で、ああ、この会社はもう終わりなのかな・・・とも思ったけれど、

 

気分を上げるために奮発して買った一般には高価なクラフトを修理に来る中年の想いを伝えたくて、「私は素人なのでわからないのですが…」と前置きして、提案した。

 

「外から見たときにこの破れがつくろわれていなくても構わないのです。これをまだ使いたいのです。破れているのは底ですが、中に入れたモノが落ちなければよいです。外に張るのではなくて、うち張りはできませんか?他が破れてきたらまたその時考えます。

でも、これからもこれを使いたいのです。」

 

若者はなるほどーとまた職人のところへ。返ってきたのは、「うち貼りならあと1時間ほどでできます。縫うのではなくて革を貼ります。2000円だそうです」

 

とな。

 

わたしはカウンターに行って、その伝言をしたであろう職人さんを見ていた。職人さんは一瞬たりともこちらを見ないで若者の背中へ何か言った。若者が振り向いて伝言した。「この金具も擦れちゃってますけれど、取り換えはよろしいですか?」

 

もう店を訪れる気はしなかったので配送をお願いした。そうしたら、12月8日なんだそうで、先ほど出た「1時間」との差が不可解だなと思ったが黙っていました。

 

 

わたしは人の身体の自己修繕力にテコを入れるしごとをしていて、
不可欠な介入の質については本当に考えているので、
この会社からかけられた言葉にいちいち「それ失格だよ」と思ってしまいます。

 

「手の皮膚を破ってしまいました」

「ここを縫っても、また肩が引き攣れると思います、あなたがお手入れをサボったので乾燥してしまってますし…。皮も痩せちゃってます。縫っても見栄えは悪いです。いっそ腕ごと新品をつけたほうが」

 

その会話には、動物が死に、革を提供してくれて、
自分の皮膚のように密着させて毎朝夢中になって一緒に仕事に行った、客の愛着に目を細めるような思いやりがごっそり抜けていて、おまけにその若者を職人さんとの間に挟む意味は解らず、その会社のHPに謳われる革製品に対する職人の愛のようなものや、客の想いをくみ取り心を込めて修理をします、という意志がまったく感じられなかった。

 

それならあんなにいいHPなんか作らなければいいのに。

そう毒づきながら4パイントも呑んじゃって、
今日は使いものになっておりません。

 

悪かったなー革鞄さん。きっとあの工房で、肩身の狭い思いをして修繕を待っているのだろうな。申し訳なかったね、わたしは自分を潤すのに必死でラナパー塗るのを長らく忘れていたんだよ。雨も降ったしこの夏は暑かったのにね。