間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 霜降 霎時施

折に触れ読み返したくなるのが村上春樹の「1Q84」なのですが、
これを電車の中で読んでから秋葉原で降りて歩いたら、
頭の中が見事に村上春樹文体で
やたらと人間の描写をしてしまうので新鮮でした。
(あるあるですよね~)

 

ただ、レジを打ちながらの千本ノックのおかげでしょうか。
念写というか、たくさんの人の「印象」をフィルタにかけて、
ぼんやりした「今日のペルソナ」像を作る作業が素早く大量にできるようになっている。

以前なら人の多さにぐったり疲れていただろうところ、
境界線のところまでは面白がってその姿を入れて、バチっと一言で言い表すみたいなことができるようになっている。

 

あの、大きな施設の入口にある上半身体温計みたいです。わたしが。
過ぎ去る人たちを勝手にはからせて頂くが、画面には触れさせないという感じ。

 

 

基本的には「いい加減に適当」な人たちであろうパート集団において、
仕事がうまく運ぶようにするのには、
パーソナルなところを変えようと踏み込むのはNGで
変えられるのはシステムでしかないというのは鉄則だと思う。

 

替えがきいて、責任をとらず、時間を売り、
その代わり生活にはちょっと厳しい程度の時給で雇われ、
それでよいと思っているパート集団に、
会社との板挟みになっている社員が「教育」を施すのはすごく難しいことだ。
まだ社会に出ていない学生アルバイトたちも、いい加減なパート集団を糾弾し社員を追い詰める。(若いですね…)

 

従業員なんて基本的には「やる気のない」部類に入ると思ったほうがいい。
それが健全な在り方なんだなと思う。みんな労働は嫌いで楽をしたいというのが。
私は、パートの域を超えがちなタイプでなかなか上記のようなことが受け入れられなかったんですけれどね。

 

そして、ちょっとさぼる人が何人かいれば、だれかのさぼった分を引き受け続けるスタッフというのも必ずいる。そうやって欠けは埋められて、小売店はなんとか走っている。社会の縮図、世界の縮図。

 

わたしは社員とパート集団とアルバイト集団のあいだで生じた亀裂をいったん身に集めて、自分の中で調整しシステムを提案してしまったりする。ミドルオブミドルエイジだからしょうがないけれど!そういう役割全開。結局、どんなところでも調律屋を進んでやるんだろうか。

 

でも、それって「オールハッピー」でなければならないという強迫観念の裏返しでもあるんですよね。食卓において、機嫌や調子が悪いひとがそこにいるということに持ちこたえられないという感じ。

 

ほっとけよ。言われたことをきちんとやれればパートは合格点。
炎上の空気に耐えられなくなってきた時には、金の要素発出しようと思います。
集中し、境界力を高める。免疫も。