わたしの答えと、わたしたちの答えと
「明らかな正解、夢のような選択肢はそうそうない。現実にはいずれも一長一短という中から選ばなくてはならないことが多いのじゃ。
しかも集団の決断というのは、人によって異なる利害関係が絡み合う。ある人にとってはプラスなことは、違う人にとってマイナスだったりする。すべての人にベストな決断というのは、そうそうない」
「じゃあ、どうすればよいのでしょうか」
「最後は、理念で決めるのじゃ。価値観をもとに判断するのじゃ」
渡辺健介:『自分の答えのつくりかた』ダイヤモンド社2009年
赤い魚ピンキーと999歳の長老海亀さんの会話。
この機にと十音の本棚を整理していたら、今読みなよ、と言いながらこの本が出て来た。
これよりも前に出た、「世界一やさしい問題解決の授業」の第2弾。
3部構成となっており、物語+コラムで赤い魚ピンキー少年の成長が描かれます。
「日常生活における個人の問題解決を学ぶ」
「意思決定の礎となる人間的な土台を作る」
「いかに集団の問題解決を行っていくかを学ぶ」
わたしたちの世代が今を力強く泳げないのは何故だろう。
それは「コロナウィルス」のせいではなく、
集団の問題解決において何をしたらいいのかわからないでいるからかも。
実は個人の問題解決力が成熟しておらず、
しかもインターネットのリテラシーがほとんど教育されないままに、
取捨選択やつっこみができないままに、
情報の波に飛び込んでしまっている。
そして、今現役のなかで中堅どころとして働くそういう世代にむかって、
けっこうお気楽だった世代が、
選択と責任をいっぺんにつきつける。
そういう現場が混乱してしまっているのでしょう。
わたしはどちらかと言うと感情的に、
「最後は理念」を「最初に理念」にしてしまう傾向があるので、
自粛を選ぶ人たちが本当に求めていることを聴けていないということに気が付く。
「私たちは、確率というものと共に生きていけるほど、賢くはないのだ、と思う。まだ人類はそこまで進化していない。自分たちや、愛する家族がもしウィルスに感染して死んでしまったら、それは私たちにとっては、すべてを失うことと同じである。」
と書かれていて、
それを読んで初めて、自分が敬愛する方の中にも、
自分や知り合いが感染して(発症して)死ぬということを不安に思っている方が多いのだと思い知った。
感染して発症しない身体を作ろうなどと思っていたけれど、
そんなことだけをつっこみなしに主張していては、
この状況に関しては相談にさえならず、平行線なのだということだ。
例えばイベントは中止にしようよ、という人と
元気な人は集おうよ、というわたしの主張は、
本当は一度、双方考え抜いたうえで、
交わらないといけないんじゃないか。
そして最後に双方どちらにもあるリスクをちゃんと洗い出したうえで、
納得して自分の理念をいくならば、
それはそれで大きな解決なのではないかと思う。