間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト ふしまわし

今年はいろいろとチャレンジをした年で
と、まとめに入りたい気分なのですが、
考えてみたら毎年なんらか事件やチャレンジやチェンジがある2015年からこのかた。

 

それにしても今年のチャレンジの中でも印象深いのは
もとご近所だったワンさん(王霄峰)が引っ越しをされるタイミングで
二胡と中国語のレッスンを受け始めたことです。

 

この前、薬店のレジ前で中国の方が、
「没有!没有!」と電話に向かって叫んでいて、
ほう、何をだい?と思ったのは小さな進化か(…?)

 

二胡は、あの細長ーい楽器の躯体に前から親近感があり、
仲良くなれそうだという予感のもとに始めたのですが、
うまく吐けなくなっていた息を弓の勢いが誘導してくれたり、
このように声で歌いたかったという思いが楽器を介して弦の音で実現できたりすることもあり、一人弾いていても満たされるものがある。

 

自分に染みついていた音楽の認識とのずれが楽しかったりもする。
例えば、二胡の楽譜は数字譜で移動ド読みをするので、
楽譜の上に例えば1=DですよとかGですよとか書いてあるんですけれど、
長調とか短調とかいう概念はあまりないというか、
D mollイ短調)のことは、「F調の移動ラから始まる曲」みたいに捉えているのだということが今日わかった。
そして、ファーストポジションしか学んでいない今は、
音階も二胡の最低音Dからどれもが始まるため、
つまり、旋法なのだった。

 

二胡のD調は音名でいくとDEF#GAHC#D

G調はDEF#GAHCD

F調はDEFGHB♭CD

 

古楽を歌っていて、
20代までどっぷりつかっていた古典的な調性感はすでに疑っていたけれど、
目の前でいとも軽々とドを移動していく人を見ると感嘆している間に
レッスンにはついていけなくなる。

 

だから途中からはもうドレミファ(脳)は捨てて、
先生の弾く音から指への脊髄反射でやっていて、
のだめカンタービレののだめさんの気持ちが本当によくわかった。

 

そして、16分音符にあてられた音があんまり自分の今までのボキャブラリーと違うのでびっくりした。
…というのは、自分が当然だと思っていた動き方や落ち着き方を、中国の音楽は全然しないのだった。

 

だから何度も自分に癖づいている節回しにしか指が動かず、
何度聞いてもそういう部分は覚えられず指が動かない。

 

面白いですねえ。人間と音楽。
今日は結構スパルタだったと思うのですけれど。老師。

 

そして中国語はご存知の通り漢字一文字で単語が完結していることも多いのですが、
その一文字がご存知の通り「四声」と呼ばれる音高の方向を持っている。
その一文字をわかってもらうように発音(ピンインと、四声の組み合わせ)するのさえ難しいのですが、
それを組み合わせたときに、
一文がもうそれこそグレゴリオ聖歌並みに音高の曲線を持つのでした。

 

わたしは日本語を話している時より、中国語を発音しようとするときの方が、
声が身体に響く感覚があるのですが、たぶん「総動員」しないとグレゴリオ聖歌が唱えられない感じにまだ似ているのだろうと思う。

 

前の音の高さがここで終わったから、次の音はどこから始めたらいいんだろうみたいなことが、判らないんです…って、このつっかえ感覚をわかって頂ける方がいたら嬉しいんですけれど。

 

下堂課是十一月十三日.  Xia tang ke shi shi yue shi san ri.

このkもrも、わたしが知っていたkとかrとかぢゃあないんでっせ。

shiだって2回続いているけれど、前のが四声で、後のが二声よ。

 

脳みそと反射神経が心地よく疲れたので、今日はもうビールを飲んで肉を焼きます。

同じように、日本語への愛を。