2020夏土用に土と身体を思う。
うなぎを食べたい、と番頭がしきりに口にします。
今食べなくてもいいのじゃないか、とはぐらかしている十音です。土用。
アルバイト以外どこにも行かないこの半年を、
十音は土と遊んで過ごしていました。
夏への養生は喜びをうまく扱うことだと思っているので、
発芽で喜ぶために、
苗よりも種を手に入れて、惜しまず撒ききりわくわくと眺めていました。
そうしたら、「ご自由にお持ちください」というトマトときゅうりと小玉スイカの種を下さるご近所のラボがあったりして、不思議なもの。
そのきゅうりの種がゴーヤと一緒にグリーンカーテンとなり、(実は重度のうどん粉病ではありますが、)ちゃんと実を結び始めています。
土は重たいので、狭いベランダで扱うのにはアタマと身体を使います。
安い土からスタートしました。
水を通しすぎたり、保持しすぎたりする土質に対し、
変えられるかどうかコンポストを設置してみたり。
フェルトプランターに、同じ口径のフェルトプランターをかぶせています。
土の真ん中だけ堀りながら、生ごみを投入していきます。
今までかなりな量の野菜くずが投入されたはずですが、かさが増えません。
人間の消化力もかくありたし。
よい土の感触と、よい肌肉(きにく、と読みます。わたしは脂肪を含む人体のふくらみの質のようにとらえています)の感じは同じ。
ウィルス禍下で人間に触れられない施術者でしたが、
土と植物が触感を与え続けて、導いてくれました。
その「感覚」とか「身体」とかの話。
今年は身体性がテーマなのだと思います。自分のまわりの状況がそのように動く。
お茶大で講演をしたのも、学生時代の自分のこころと身体への興味を思い出させてくれましたし、昨日はクライアントより、わたしの「たたずまい」についての興味深い評価をいただきました。
思えば自分の居方については自意識過剰なほどに追究したのです。
そもそも歌うという、呼吸のアートの探求をしていたこと。
舞台に立つ学びをしていたことの大きな影響。
音で聴くことによって自分の骨格となった建築への興味。
身体がどんどん広がって、世界を自身として感じるようなホリスティックな感覚と、
それが行き過ぎると境界を失い出来の悪い魔女のように他の声を聞きすぎて破滅する危険。
そういうものが有機養分となってとけこんでいるわたしの土、に
根っこのようにこれから神経を張り巡らし、
世界のつながりを「見て」
それをわかりやすく伝えたいと思うようになりました。
「解りにくいリフレクソロジスト」を返上なるか。
このカオスに糸口は与えられるか。
多分、多くの人が、こころの問題には、手で触れられないと思っている。
前のブログで書いたように、「神経が参っちゃって」と「こころが参っちゃって」は
毛糸がそこでこんがらがっていることと、もふもふ羊が熱中症で倒れていることの違いみたいに
近く、遠く、見間違えやすいことなのだろう。
というのは、ここのところ偶然、臨床心理士になりたいという若い人たちに立て続けに(本当に、複数に)会い驚いているのですが、
素敵な選択だと思うし、進路を選ぶキツイ10代に、扱いにくいこころのプロフェッショナルに出会い、あのようになりたいと願ったのだと理解すると同時に、
他人(と少なからず自ら)のこころに対処していく手法が言葉に偏っているなとも感じたのです。
全部が全部「考え方」の問題のようにとらえすぎるのはとても辛いことなのではないかと。
言葉の選択に凝ってきた十音がこんなことを書くので感慨深いのですが、
中年のまた中心ほどの歳を迎えるにあたって、
知識や叡智をまとめたいと願うようになり、
すると忘れかけられていた物理的な身体のことをまた思い出すようになったのです。
そんな中で世の中が混乱したので、もっとわかりやすく「見せたり」、触れたりもできるようにならないとと考えるようになったのです。
ようは、倒れている羊に、言葉での叱咤激励ではなくて生理食塩水を飲ませることができるようにならなくてはいけない、と。
土の話からこんなところに来てしまいました。オチはないのですが、この土用は、五行のバランスよく、知の範囲を広げてみようと思っています。
繋ぐもの、糸口として、神経から。
そうそう。
日課セッションを体験したことがない方は、ぜひ8月8日までに一度ご来室ください。
セッション料金が一生、開室当時と同額(5,000円)となります。
マスク、消毒、換気、植物の力、白湯の力、土から培った手、総動員していますよ~。