糠床日記
知らない人たちが集う暗闇にコトバを打ちこむようなSNSで、
のろいのほうの呪の掛け合い合戦をしているギョウカイのメッセージにうろうろして
ギョウカイの仲間に入りたいけれどその実はギョウカイから搾取される側になってしまっている、なんて自分には耐えられない
「身体性」に活路や突破口を見出して手技療法を修めたからには
まずはその手技をでもって、
ぜんぜん派手でなくていいから、
とにかく自分の身体を使い、他人の身体に触れたいと思う。
そうやって身につけたい。
できればあと2年ほどで、上半身の筋コンディショニングも学んだほうがよいのだろうと思っています。
どなたか師匠の助手的に働きながら、身につけたいと思うのですが、
そういうご縁に合うように、
巡りを調えられるだろうか
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数ある職業のなかで、「眠っている人間」と向かい合うたぐいのものはどれくらいあるのだろう。
セッションをしていると、眠っている時だけに出る身体の動きに付き合うことがよくあります。
(特にその方が一人暮らしの場合などは)本人は知らないことが多いと思うのですが、
でも朝起きるとなぜかいつも疲れているんです…とか、睡眠障害の問題や、足底筋膜炎のような足裏の疾患を訴えていたりする。
扱っていると、その動きが足の筋や腱に負担をかけていると感じることもある。
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リフレクソロジーは、これらの治療や投薬はしないのですが、
と「しない」の形で言い続けることに、ちょっとした歪みを感じつつあります。
日本の法律上のことで、医師と医療への敬意はもちろんですが、なにかいい言葉がないかしらと思います。「させる」じゃなくて「する」とつけられる、「癒す」じゃない言葉が。
自己治癒のお手伝い、的な言葉がどうも、数いる同輩の優れたセラピストさんたちのいいところを引き出していない気がして…ってわかります?
何かに作用したいという「手技療法者のドヤ」を可能な限り取り払い、
ひたすらに、「肌肉への揺さぶりで聴き、感想を語り合う」ことに徹した結果、
誰も図っていないのに世界が変わってしまっていた、ということはよくある。
音楽会がホールに入って行って、過ごし、出て、という生まれ変わりの装置なのと一緒で。
先日はセッションにきたクライアントと話していて「結局、わたしは、何をやっているんでしょうか…と尋ねてしまったことよ。
今日は豚モツを一昨日のキムチで炒め、大豆も加えて、ビールとウィスキーお湯割り
今に黒糖焼酎を買いに