間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

ほんとうは協力なんかではなく、

外出自粛要請がありましたから、セッションやめました、解けたからセッション再開します!…っていうのに違和感を感じていて、そういう宣言ができないでいます。もっと何か根源のことでひっかかっている。

 

アーティストに協力してなんてもったいぶってみましたが、実のところは、自粛でキャンセルが増え、ご予約が減り、いつも扉を開けて待っているというのが辛くなったのです。オトナコドモセットを作ってみたり、発症しなければよい感染は怖くないストレスを減らそうと主張してみたり、必要としてくださる方がいらっしゃる間は受け入れるよ!と発信してきたけれど、誰もお越しにならなくなりました。5月6日の十音はいわゆる、「フラれるのが怖いから、こちらからふる」情けないオンナと同じ心理だったと思います。そして、悔しさをバネにこの期間にオトコを振り向かせるイイオンナになるぞみたいな勢いで規則正しい生活を送り、日々ドラッグストアのアルバイトに出かけ、品物を棚に入れながら思考し、「ほぐしをほぐす」や「おんらいん手waza市」など企画し、母校の後輩に伝えたい内的キャリアのことなど練ったりしていました。

 

そしてそのわたしの心根の不純さはしっかりと、十音を応援してくださる方たちにバレていたと思います。そこが隠し通せるようなセッションはして来ませんでしたし、そこを隠すようなSNS発信術ももっていません。

 

そして、業界におけるさまざまな「宣言」を拝見し自分がセラピー業界を回す役割は全く担っていないことも思い知ります。やりたいのは90分の手技の機会ではない、もっともっと深い水の底への旅と生還体験。それはフットリフレクソロジーに留まらないもっとホリスティックなもので、私全体の在り方も関係しており、競争にはついて行けそうにない。

 

わたしは十音にセッションを受けにくる方たちを「クライアント」と呼んでいたけれど、実はクライアントであってくださったのはほんの一部の方だけで、あとはトリートメントを体験しにお越しになる「観客」だったのではないか。いや、よく夫が行っていたギターのフリーセッション会みたいな、一過性のセッションで自分をトレーニングすることを楽しみに来ている飛び込み参加者。もしかしたら、自分が十音のクライアントであると思ってくださっていた方などおらず、わたしはもっともっと軽いものを期待されていたのではないだろうか。一応足の情報を預かるので、そしてその情報量は大きいので、ある種の約束めいたものがセッションにはあると思っていたけれど。

 

「再開します」宣言をほうぼうに見つけながら考えてしまうのはそんなことです。十音は、来て下さる方との関係を結び直さないといけないのではないでしょうか。

 

旅に出るともう元には戻れないし戻らないものだとどこかに書きました。そんなことペラっと言うもんじゃなく、本当に戻ることはできないのだと、一回閉めてしまったものは簡単に開けないのだと、一回締め出してしまった人たちは簡単に戻ってはこないのだと思えて仕方ありません。だからずっと哀しかった。ここで「再開します」宣言をしたとしても、みなさんは元のように十音に戻っていらっしゃらないと思っています。

 

振られる前に参加者のみなさんを振ってから(笑)、新しい方との出会いを試みました。それが「ほぐしをほぐすVol.2 ウチの足の物語」です。触れられないものを読むことができるか、自分の手の平ゆびの先に積みあがった感触の記憶は役に立つか、東洋医学のいいところは人を想像するというクリエイティビティだと思っているので、そこを発揮できるのか。結局、十音のセッションにいらっしゃったことはない方が54人中34人、いらっしゃったことがあっても結構昔で感触が手から消えている方もいます、ほとんどが初めて足を拝見する方との改めての出会いでした。わたしの「観る」が送る情報を第六感まで総動員し言葉に置き換えて、期間中ちょっとしたハイ状態だったと思います。これも、築かれてきた東洋医学の「文化」。五行論の文化。加えて、今の人間にしかできない関係の築き方。

 

ヒトの形、ヒトの皮膚という情報を超えたものを手技療法者は受け取り、それを物語に変換してお返しすることでヒトの思いコリを解すことは可能です。もちろん手技療法者の調子というのもあり、ピカっと閃くこともあれば何時間もどんよりして奇想天外すぎたり音なしすぎて(大人しすぎて)刺激にもならんのしか出て来なくてだめじゃんこりゃ手技ではない、わたしの専門性はどこへと呻いたりしました。

 

しかし、生まれた39の物語が、完全に、オーダーメイドで何のコピーでもない、わたしに足を送ってくださった方と私の間にしか生まれなかったものであることに、わたしは独りで結構感動しています。触れる、触れられることで安心して思考せずに済むところも日常のセッションではありましたから、触れることを削いだ結果エネルギー保存の法則で違う部分の解しの自己治癒力が発揮されたというのは多いにあり得ることです。

 

極小単位でやっている小さな研究やトレーニングの成果というのは、探求者自身が世界の端っこで一所懸命に叫ばないと、アフターの叡智を生み出さない。成果や結果を、さまざまな人から突っ込んでいただき所見を差し込んでいただき鍛えないと、刃として使い物になる体験になりません。

 

わたしが懸念しているのはそこでした。恐らく、また日課セッションに「安易に」戻った場合、いただいた写真と生まれた物語は反芻されず実際に触れることに懸命になることは目に見えています。もしくは、日課セッションに「集客」しようと懸命になるのです。ほぐしをほぐすのVol.1というのも結構なボリューミーな情報量でした。それは文字起こしすることでいつでも触れられる叡智となり、頂いた言葉はわたしの宝ものですが、それだって2年前のこととして、新陳代謝によって私以外のみなさんの身体からは忘れ去られている。「ウチの足の物語」には、もう少し新陳代謝に負けず私と、足の文化の刃として使い物になってほしい部分があって、その「鍛える」勉強会を何度か開催したい、探求者に開く機会が欲しいのです。

  

わたしは「順番、回数、年数は抜かれることがない」という「信頼と実績の」基準に安心するため、日本でふたりめのセラピューティック・リフレクソロジストになることにこだわり、手waza市を必ず月1度開催することにこだわり、値上げのために施術1000回をすることにこだわっています。十音のイベントには質的なものと量的なものがあって、ほぐしをほぐすは前者、雑司ヶ谷手waza市は後者です(5/31で41回目ですよ)。そして質には量を、量には質を加味して誇れるものを出したいと考えている。(十音的には時機を得た「おんらいん手waza市きゃらばん」が全く売れないことには、恐らくタイミングが遅かったのと、新型コロナ事態における手技療法者の意気に感じる方というのがいなかったせいだと、完全に外的要因のせいにしています(笑)。←前半の部まだ受付中です)

  

5月7日から「日課」を自ら閉じて、エネルギーをイベントに注ぎこんでいました。必死に生き残ろうとした結果ではありますが、なにかに対する復讐心もあったと思う。新型コロナウィルスに対してなのか、人間の愚かさに対してなのか、フラれた相手に対してなのか、勝手に傷ついて闘っている十音を認めています。ここを始末してやらないと、本当の旅の終わりにならないと解っていて、それで再開宣言ができません。

 

あと、旅はまだ続けなくてはいけないのではともうっすら感じていて、それで終わりにできない。

 

お疲れで足からだるいという方は、とりあえずの旅の感想シェアセッションみたいなものは可能です。ご予約ページからいつでもお問合せください

技術は落ちていませんし、精油も増え、道具として手のひらに入りつつあります。ウチの足の物語をつくるために新たにできた神経シナプスもあるでしょうから、旅の前の十音とは違う場になっていることでしょう。

 

本当は、営業再開なんかでなく、まずはお互いの解される、讃えあう場みたいのがほしい。これを読んでくださって何かを感じた方とは遣り取りもさせていただきたいと思います。みなさん今、どんなこと考えておられるのですか?

 

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リフレクソロジー雑司が谷十音Tone 山﨑絢子

tone.reflexology@ gmail.com(スペースを埋めてどうぞ)