2021 小雪 虹蔵不見
缶飲料のぎっしり詰まった重たいカートをスロープに乗せようとして、
バックヤードから売り場に出る扉の柱に派手に手首をぶつけ、
腕時計が飛び散った。
拾い集めながら一瞬泣きそうになったが、今日は悲しくなりやすい日なのだと思い直し夜勤を終えた。
目白通り沿いに半分時計屋さんで、半分お煎餅屋さんであるという不思議なところがあったと記憶していたから、次の日空き時間に飛び込んだ。
つまり、店の主人は時計職人で煎餅職人でもあるのだ。
「今日は煎餅製作のため、預かりのみ」という看板を後目に、
カウンターで出て来て下さった女性にバラバラ時計を差し出して訴えたら、
悲痛な声がよほど響いてしまったか、奥で煎餅を袋詰めされていたご主人が、部品があるなら今やっちゃう、と立ち上がってくださった。
時計をじっくり眺めながら煎餅エリアから時計エリアに移動するときに、
「これかなり強い力がかかったでしょう?ぶつけた?曲がっちゃってるもん」と優しく声をかけてもらって、ヨヨヨ…と、
そうなんです手首もこころもぶつけました…とか言いそうになるのをとどまる。
無理を言って直してもらっていることの言い訳のように、
腕時計をしていないと落ち着かなくて、とつぶやいたら、
「そうですよ。腕時計をしないという人が増えているみたいだけれど、仕事、営業とかで腕時計をすることが礼儀だという人もまだいるんですから」
と応じる声のテンションは高く、よし、直したるから待っておれ、と言われているのを感じて嬉しくなる。
作業台の前に座り、丁寧にブラシで埃を払って、部品をはめて下さる間に、
昔ながらのラベルの貼られた鰐皮やチタンの時計バンドのプラケースを眺め、
「日本堂時計」と書かれた大きな古時計を見て、部品の小分けされているらしい引き出しや、小さな作業台や、修繕途中とみられるお預かり時計をいくつもみとめる。
後ろでは様々な味のお煎餅が菓子瓶に入って並んでおり、でもずいぶん少なくなっていたから今日は製造日だったのかなと思う。
部品がはまって再び革で磨きながら、「あれ?」ともう一か所のズレを発見して直し、はい!確認してみて。と差し出されてつける。
お代を、と訊いたら「300円!」とにこやかに。
次の時には、夫の時計のバンド替えに来たい。お気にせずに、と言われたけれど。
モノの修繕は、それを相棒にしているヒトの修繕でもある。
そうでしょう腕時計が壊れてしまって不安でしたね、と労わってもらいながらぴかぴかになって戻ってきた男物の時計。ソーラー充電で、文字盤ががっつり数字の円形で秒針が正確に60秒を刻み続ける。
時計を見て気持ちを鎮めることもある。
そこにいること、人の存在自体が内容であるしごともある。
警備員とか、消費者の一瞬途絶えたレジスターとか、演奏会本番リハが終わっちゃったあとの事務局員とか。
これだけが、本当に平等だから。
この秒針の刻みはわたしにも誰にでも、与えられていて、佳く刻みたい、と思ってしまう。