スピリットに身体を貸す
ノーベル文学賞を授与されたのが詩人だったということがしずかにうれしい。
人のこころを映す人が絶滅していなかった。
アルバイト先のドラッグストアで流れる有線のj-popに、「詩」が皆無だなあとずっと思っていました、歌が失われて久しい。
みなさん一所懸命歌われているんだけれど
大きすぎるんじゃないかな、音や声。
想いがグループで歌われることの奇妙な感じにもそろそろうんざりしていました。
(ミドルエイジだし…笑)
*
詩人のスピリッツが肉体を与えられてよろこんでいた
1回きりのライブの良さが全部入ってた
そういえば詩に飢えていました
コンサートの中に、映画「今を生きる」のことが一瞬出て来ました。
なかなかうまく言えないのですが、
最近自分の周りにおこる
生きることと死ぬこととのこすことが全部入っているようなライブでした。
秋のスピリット「魄(はく)」のことは、
日常生活の中ではなかなかイメージしにくいものです
でも肉体を捨てないアーティストを目の前にすると感じ取ることができるかも
強いおもいや念を地に結び付けたりことほぐ刺激としての存在
こういう経験がわたしの身体に加わることで、
十音でのセッションも変わっていくものだと思います
それが人間同士ということでもありますし、
楽しみなところ
冷えてきたので部屋をあたたかくして、湯たんぽも発動してお待ちしています
いろいろ考えるのは、まずお茶でもいっぱい飲んでからでいいんじゃないでしょうか
部屋に戻ってから久しぶりにパーセルの楽譜を取り出し
Evening Hymn を歌ってみる
置いてあるギターにも部屋にも建物にも響いてしまって恥ずかしいのだけれど
息ができてよかったです
*
世の中には、まだ出会っていない歌や詩や、声や音がたくさんある
もう少し、出会ってから
あとたった1日、ただ生きるだけでいい
もうたった1日、ただ生きる
そしてもう1日、
それ繰り返してくれと思うよ
写真は、ある大往生されたママンが所有されていた最上級の革靴を
譲り受けて履いている図