tonenoteトオンノオト 小休止
ネルソンがかなりの北部にあるために、戸外で何もしなくてよい何か月かがあるということは、私にとってなんという幸運だろう。11月の終わりごろまでには、庭はベッドに寝かされ、4月の終わりごろまで眠っていてくれる。窓にとじこめられて、私はようやく書くことに集中できる。けれども1日の仕事が終わると、私は植木屋のカタログやパンフレットに見惚れ、翌年の庭を空想する。だから少なくとも私の想像のなかでは、庭はいつでも大いに生きている…
貸出期限切れ間近のメイ・サートンの『夢見つつ深く植えよ』を開いたらこの部分だった。みんな一緒なんだなあ!私は3月までさえ待てずに、土用が終わった途端に土をいじり始めてしまったし。
この本の原題は Plant Dreaming Deep で、『夢見る想いを深く植えよ』とも解釈できるそう。小さなベランダ薬草園のひとつの植木鉢であっても、植わっているのは期待。
だから毎日、外仕事から帰ってくるとしばらくただ植物を眺めている。
庭作りは、それを受け入れられる中年の、実りある報酬のひとつなのだ
*
たまたま読んだフィギュアスケートの羽生結弦選手が記者会見で、ご自身のことを「羽生」と呼んでいたのが印象的だった(「羽生が好きなスケートを」と言っていたと思う)。
また「9歳の自分」と対話をしながらジャンプを仕上げたり、氷と仲良くなったりとか氷に嫌われたり、という表現も、もともと詩人的な気質を持った方なのだろう。
そんなことを反芻しながら朝仕事に向かっている途中、最近ちょっとその存在を忘れられていた「十音のマネージャーのヤマザキ」が少々腹立たし気に立ち現れる。
もともとオーケストラのマネジメント部門に10年染まったあと、
2018年に「オレはいいけど、矢沢はどうかな」の言葉を小松さんから聞いて、
アーティストとしての自分(十音)が専属マネージャとしての自分(ヤマザキ)に伴走されている感覚はずっとありました。
でも、ここのところずっと感じていた違和感は、この2人の求めるものが不一致なのではということに気がついた。ウィルスとの付き合いの中で「ウチの足のものがたり」に取り組んでいた時は、いったんはしっくりと、一体化できた。「ウチ」に籠って、部屋の壁を自分の皮膚のようにして一緒に呼吸をしていたからだ。
薬店で登録販売者研修に入ったあたりから、つまりはここ1年ほど2人がお互いに不満を持っている十音とヤマザキにそれぞれの言い分を聞いてみました。笑
ヤマザキ曰く、
十音はもっと施術に専念すべきだ。そして施術に関係のあるワードのみを集中して日々集め、宣伝のためにヤマザキへ渡してほしい。消化したい雑多なことがたくさんあるのはわかるがアナタの胃袋は自分が思っているほど強くないし、体力も思っているほどは続かないはず。こうして外仕事に気を入れているにも関わらず十音を気にかけて下さる方は、かろうじてまだおられるけれど、
その道草の説明がまったくついていないではないか。
アナタの想いは実装に乏しいのだ。憧れが顧客を生むお商売でもあるだろうに、恵まれた体躯を生かしもせず、毎日同じような仕事着にノーメイクで白髪も増え、消耗のイメージさえある。わたしはもっと十音に余裕を見せてほしい、足だけ90分の施術の奥深さをもっと解りやすく説明するために努力をしてほしいのだ。アナタは努力が足りない。人に迎合する努力が。わたしはアナタにもっと稼いでほしい。なかなか独自なセンスを持っていることは認めるし、それなりに適応力もあるのでどこでもバエるパフォーマンスをするかもしれないが、文化的でない人たちにとっては格好の搾取の対象だ。ちゃんと判断できているか?
十音曰く、
リフレクソロジストとしての枠にとどまらず、植物や医薬品や音楽や語学の知識に加え小売業でのパートの経験をすべて作品として結晶させたい。仕事の場や1年後のヴィジョンはある。しかしその具体的な方法や作品のカタチが見えてこないことに焦りもしている。しかしもうちょっと待ってほしい。4月になればもう少し身体が楽になるはずであるから、考える時間も書く時間も取る。今は、気力体力を集中して使っていて色々と斬り捨てシンプルにしている。それは賢いことだと思っている。規則的な生活、よく食べ、よく働き、よく寝る、そして自分の持っている基礎的な美しさを引き出していきたい。それにしても、人心の荒れた社会生活の中で、エッセンシャルワーカーとしてわたしはよく踏ん張り、自棄にならず、今までの経験を生かして運営に貢献までしているつもりなのに、その生活を良しとせず批判するあなたはちょっと厳し過ぎやしないか?てゆうかあと30分でセッションだからアナタ黙っていて。
まだまだ言い分は終わらないので、「続く」とするが、この作業はとてもいい。そこに、「ただの人体」としての感じて影響を受ける物体山﨑絢子のコメントも加わればとても整理されたものになると気が付きました。
殆ど活用できていなかったツイッター「十音の調子」をマネージャーヤマザキのつぶやきの場とし、
このブログはアーティスト十音の「実装できていない」埋めた想いのたけとし、
「ただの人体としての山﨑絢子」を個人フェイスブックで晒そうか…本当につながるのは会ったことのある方のうち文字通り「友だち」だけだけれど。そして、そこには、マネージャーヤマザキ(調子さん)が目を剥くような、ふさわしくない内容も並ぶわけなのだけれど。
などと閃いた、満月になるらしい夜。
休止 と英語の音楽辞書と日本発の音楽辞書(平凡社とか)で引いてみると、前者は3行、後者は3ページの差がある。3行で終えるための文章はと言うと、「音のない区間」という感じ。
そんな単純なもんじゃない、というニッポンの休止。間のこと。と十音は言う。
調子さん曰く、その美学を持って足を触っているというところが、なかなか独自で面白いんだけれど、いかんせん「解りにくいリフレクソロジスト」なんだそうです。十音。
閑話休題、と言ったりするのかもしれませんが、今日読んだ本の「小休止」という言葉があまりに収まりよく、きれいだったので。