間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

回路つなぎなおし。

心地よいという感覚を、
味わい尽くしてにんまりするようなことを、
しちゃいけないんじゃないかと思っていたというか。
嫌な回路の結びつき方はじゃんじゃん推奨しちゃうのに。

 

「つなぎなおし」の始めの一歩、
小笠原和葉さんのクラニオセイクラルのセッションを受けてきました。

 

はっきり言えるのは、わたし今、この方のセッションを受けたい、と思ってでかけたことです。

 

「それ、解剖学的にはどうなってるということなのか」
というフレーズが、先日の「ボディケアジャパン」の講座(この時は、ポリヴェーガル理論についてのご紹介だったけれど)にて、
何度も発せられてとても気になっていたのでした。

 

自分の身体の内側に意識をむけてみる。
すると、結構素直にそこにいる他者に伝わってるんだな。


触れられているということを意識するだけで、
自分の身体がぐいーん、と調律を始める。

 

リフレクソロジーよりももっと静的な調律。
弦を押したり引いたりしない、「添える」に近いタッチに対し、自分の意識がサボることなく集中する。
集める術な感じ。
フォルテよりピアノに人が耳を澄ませるような。

 

動きとしたらとってもわずかなんですけれど、
わたしの場合は、筋肉痛のような反応まで出るし、
帰って鏡をみると、眼の大きさが明らかに、出かける前より左右バランスがととのっている。

 
これもひとりじゃできない解しだなと感じました。

 

多分わたしは、フット・リフレクソロジーでこういう「自分で自分に作用」を起動したいのだろうなと思うのですけれど、

 

あまりにコレ、何が起こっていたのかまだわからなかったので!
また伺ってみよう…

 
神経に作用している、というのはよく自覚できる。なぜなら私のバロメータである「動悸」がそれは多彩に変化したので…

 

あと、体験が非常に「水」っぽいということも。号泣したあとのような顔半分の状態になったし、プールから上がったあとの授業のような心地よい疲労感。

 

そういえば、去年の「ソマティックフェスタ」で、初めて野口整体の活元運動の体験をしたんですけれど、私は他の人のように「動き」は全くでなくて、

 

その代わりにひとり号泣したのでした。鼻水ずるずるで、抑えられない衝動で自分でもびっくりしたし、廊下で会った小松ゆり子さんから、「活元運動って、号泣するようなもんでしたっけ?!」と言ってもらってほんとその通りだわと思ったんですが。

 

わたしの場合、息を吐いたり、心臓が鼓動しているのをバラす、というのはなんらかテーマかもしれません。

 

興味深い。自分の体。みな、ありたい場所に向かって、とても懸命に移動しようとしているという感じ。

 

調律だ。調和しようとがんばっている。

 

それにしても、本日気温10度上昇するんじゃなかったですっけ?
外は冷たいままだった気が…。 

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