間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 芒種 腐草為蛍


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1日に1冊読破しないと読み切らない冊数を、図書館では借りてしまう。

2週間は14日しかないのだから、多分5冊でも多すぎるのだ。

それを10冊も借りたのは、

今仕事にしているリフレクソロジーをきっかけに興味を持った植物療法から興味を持ったベランダ薬草園から、興味を持った薬理からの登録販売者資格取得からの、東洋医学との接点として漢方薬から薬の歴史から、薬草酒の世界にはまりつつあり、酒を飲む人間と薬とアートというところにやっぱり還ってくる、

 

その輪の中にはまる本があの日は目に付き過ぎたのだ。


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その中の1冊。この本の指南で、酒が出て来る小説をまたいろいろ検索することになりそう。特に、邦人以外の小説を古典も最近のもわたしはほとんど読んでいないので、そこに踏み込めそう。

夫の本棚にはハードボイルド小説がたくさんあるので、そこから入るのもいいですね。ドライ・マティーニの世界からですね…

 

しかし、物語を読むということを最近ほんとうにできていなかった。物語だけではない、文字の連なり特に「記事」を読むのが苦痛になってきていて、時間がない中焦って読んでも、頭に情報が定着しないことに落ち込んでまた読めなくなっていく悪循環。

 

物語は1つ読む前と後ではまた違う自分になっている。旅やコンサートと一緒。だから集中してその時間をとると、どこにも行けなくても新陳代謝が起こる。

すっかりそれを忘れていた。

 

信州へとんぼ返りで出かけてフォッサマグナの温泉につかり、「山を吸って」きたあと、登販研修+リフレクソロジーセッションという日課のセット。ある日はIMSIにご紹介いただいて雑誌『セラピスト』の取材を受けたあと辻文栄さんのチェンバロリサイタルで「ミーントーン」調律の世界に溺れ、ある日は月経中にも関わらずセッション前に400ml献血も押し込むという荒業の1週間を乗り切ったら、肝臓が1日だけ恐ろしく酒の代謝を早くしてくれたようで、体調も崩さずにものすごい量のビールとワインを飲んでしまった。全部で3リットルぐらい。

 

ペースダウンをしなければなどとつぶやいたとたんにこういう「陰」を失う行動をする。要注意なのは、朝に珈琲を飲んだきり、15時まで何も飲まずに働いてしまったりする神経だ。明らかに夏至前のハイ状態だ。そして、これを続けると8月にトラブルを起こし、身体はだるくて歩けなくなる。

 

ところで、上に書いたミーントーン調律というのは、ある和音は澄んで聴こえる分、ある和音はいつもより歪んで聴こえるような「オールマイティではない」調律法らしい。ハマった時はさらさらと流れ、ある時は不適応を起こすというその調律を、わたしは自分の身体の調子次第で、自らに施してしまう。自身の音の認識のチューニングを変えてしまうので、いつもは調和して聴こえていた音楽の世界がバラバラ事件になるのです。

 

聴力は問題ないと診断されるため、そういう時、わたしの「気」が狂っているんだなーとじっと思うことにしている。その世間とのズレをいとおしく思うことにしている。
ミーントーンで調律されたチェンバロから流れる音楽は、狂った気を五行側から正当化してくれているようだ。

 

思えばこれが「歪み」だと、誰が定めたのだろう。何もかも大丈夫ではないか。

 

ライターさんから、「(セラピストというより、)アーティストの姿勢なんですね」という言葉を頂いた『セラピスト』誌は7月7日発売の8月号。

「この資格を持っていてよかった」というエピソードは、十音の場合、その活動自体がその資格から始まっているあまりに自然なもので、うまくあげることができないほど。

上記のような本の爆借りは、セラピューティック・リフレクソロジーとお酒好きがかけ合わさらなかったら恐らく起きないし、すべてが「マクトゥーブ(それは書かれている、ですっけ)」で、資格を持っていなかったらという状況があまり思い浮かばないのもあるでしょう。

でももし、リフレクソロジーに行きついていなかったら、やっぱり「それは書かれていた」かのように違う人生を、ギラギラとやっていると思います。


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ジャスミン茶。

私に足りないものを補ってくれます。