音のたたずまいを読んで、
「ヴィルガのたたずまいがですね、」とか言われて
ほー、とうなずきながら、これこれ、新しいことを知るのはいいことだなあと感じ入りました。
久しぶりにグレゴリオ聖歌の講座だったのです。
夏が終わり、新しい学期に入って、「グレゴリオ聖歌をよりよく歌うための記号、ネウマ」に触れ始めました。
↑歌詞の上の、ミミズが体操しているみたいな記号がネウマです。
書道に通じるところもありそう。すごく身体的です。
冒頭の「ヴィルガ」は、Doの上にある「/」。
右肩上がりというか…まあこういう音になるわけです。「_」 とは違う。
わたしたちは大概、音を1音1音つらねて旋律ができるという学び方をしていると思うのですが、ネウマは1音~4音の音の連なりの所作を1つの記号であらわしているもので、歌い手はここから歌いまわしを読み取るそう。
なんだか効率が悪いような気がしますけれど、その指示の仕方にはモダンの楽譜からは失われてしまった豊かな音楽があります。
前の音よりも高く、前の音よりも伸ばす、次の音につなげる感じ。
とかいう指示をネウマから読みとっていく。
行間読むような作業で、面白いです。ネウマのラインスタンプとかあったら、
メールの世界にももっと行間が。(笑)
「よりよく歌う」って誰にとってよりよくか。
それまでは、発表会とかあって鑑賞する人により良いものを提供すると考えるものでした。
しかしグレゴリオ聖歌は修道士のお勤めなので、鑑賞させるためのものではない。
自分がよりよく歌う、よりよく祈るための、といった意味合いになるのでしょうか。
わたしはネウマに触れていると、譜読みとチケットで擦り減らない、「音楽する」とはどういうことかを考え直します。
最初のひとフレーズを「よりよく」歌うために1時間費やす。
旋律ってこういうことだったんだなと思います。
それがネウマで指示されなくても、感性で「よりよく」歌える人もいると思いますが、
昔の人の指示を読むのは、昔の人に会うかのような感覚で楽しい。
ザンクトガレンの修道士の末席に、(わたしは不良だから入れないけれど)、ちょこんといて、同じウネウネとしたネウマを見ているような不思議な気分になります。
さて、明けて本日は、
やはり、施術者は施術しないとダメですね。
ちょっと病欠していた間に気持ちが沈みがちだったのですが、
昨夜セッションしたらがぜん落ち着きました。
あんまり脳内がヒマすぎるのも考えものなのです。
倦まず弛まず焦らずいつも動いているということが大事な気がします。