間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 雨水 霞始靆

追記 ウクライナの人たちが気になって仕方ないけれどまずは眠らなければ。スマフォをオフにします。

 

 

この時代に、空爆とか戦争がしたいだなんて、時代遅れにもほどがある。人間として未成熟なんではなかろうか。取り巻く国際社会もこんな勝手を許していいのか。長い冬の終わりにこんなことひどすぎる。全てが金と利権で動く時代の次の段階へと、ウィルスが促してくれていただろうに。

 

 

映画『大いなる沈黙へ』を観る。冬から始まって季節を追うような構成。白いフェルトの修道服が揺れたり隠したり、もう1枚の皮膚のよう。その服を脱いだ老修道士の乾燥した皮膚に、若い人が軟膏を塗ってあげているシーンがとてもいいなと思った。そういえばと思って、ナルドの精油を追加オーダーした。
共同生活において、それぞれが役割を持っている。雪に埋もれた花壇を掘り起こし、植物の種をチェックするおひげの修道士は結構ひんぱんに中庭を横切っていくカットが採用されていて、彼が季節を生きて季節に喜びを見出す人だからだろうと思った。
若い修道士たちの食べ物を咀嚼する確かな動きにも感動した。なんだか動きと音にずっと感動していた。

ただただその皮膚で敏感に感じ取りながら、さまざまなことを全身で聴きながら、目で文字を追って学習し、グレゴリオ聖歌を歌う、粛々とした日課に満ち足りて感謝して生きることが修練なんだなあ。日曜日の午後だけ共に食事して、散歩して、語り合う。

(これだけ書くと実は今の十音の生活とリズムが似ているような…)

 

 

オミクロンさんは肺までいかずに上気道で暴れる傾向が強いようだ。
薬店ではのどの痛みを和らげる抗炎症作用の薬がどんどん売れている。
肺を病み、感情的には悲しみの強かった初期のウィルスとの付き合いは、
のどの違和感に怒りを募らせる時間に変わったのかもしれない。
肝を養生して魂はちゃんと芽吹かせよう。
ということで今夜はターメリックを使って煮込みにしようと思います。

 


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