間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 決定的な

カレンダーが円形の方たち(例えば、地球暦®の界隈の方とか)は「今度って、何度?」という問い方が定着しているそうですが、
十音は、「今度お茶しましょう。」というフレーズが苦手らしい。訳あって最近その言葉をたくさんいただくようになって、自分の身体がその瞬間混乱するので、気が付きました。

 

まず、「お茶」というのがわたし、どうしたらいいんだー!という感じで。お酒を一献、と言われるとそこでの振舞は大体予想が付くのですが、酒精の入らない会合って、もうぜんぜん、想像がつきません。緊張してしまってお茶の味も分からないだろうし、お菓子は好きですが、その味も分からなくなるのはいやだし、肝心なお話しの内容が身体に残らないかもしれないなどと不安になります。お茶する十音の何が面白くてお茶したいと言ってくださるのだろうと思い挙動不審に。

 

そして、「今度」と同じく、
いつか、お茶しましょう
いまに、お茶しましょう
お会いできる日を楽しみに

 

が苦手です。日時の希望が書いていない、「締め」の言葉としての、または社交辞令としてこのメッセージで締めくくられると、どうしたらよいのか分からなくなる。これって私の障害だ。

 

最後のは自分も発してしまうことがある。私はその人に会いたいと思っていて、でも酒の席を設定する相手ではなく、その人から私にアポイントが入らないかなと淡い期待を抱いている時。仕事の話の時も多い。

 

私はこの何年間か、このオンラインの個人対個人のやり取りを極力避けてきたのだということにも気が付きました。訳あってラインやメッセージやメールでの、個人対個人のやり取りが増えているためです。SNS上に複数人数が読める状態でメッセージや日記を発するのに比べて、一対一の、決定的な、逃げ場のないやり取りに持ち込むような気がしてなかなか難しい。

 

「わたしがわたしらしくあろうとすると、必ず誰かを傷つけてしまう、なぜなんだろうね」

 

というセリフをノートに書いたのは、同じ高校の上級生だった。当時1年生だったわたしにはその人の天真爛漫(にみえる)な性質は大変魅力的だったのですが、17歳とかからそんな風に悩んで大変な人でした。46歳のわたしも今、自分が一対一になった時の凶暴性を恐れています。凶暴というか、私はすぐ失速するので、ある程度の勢いをもっていろいろと進めないと何事も成り立たないのです。本当はじっくりと、あと一歩の交渉を恐れてはいけないはずです。
相手と自分の力をもっと信じて、やり取りの密度はもっと高くたっていいだろうに、間合いに悩みます。

 

いずれにせよ、これから、ご縁のあった方たちにオンラインで夏のご挨拶を始めます。
その先のライブセッションへお誘いする、リハビリみたいなご挨拶です。