間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 掃除は交渉

今回の2日間のオフには、部屋の「片付け」をしていました。
拭き「掃除」をする前の段階なんですけれど、雑巾が、滞ったりまごついたりしないで通れる道を作っていくという作業。


どんどん、思い入れのない箱もの家具を捨てていこうとは思っているんですけれど、
(もとい、「わたしは」思い入れのないというのが正しい。夫はわたしの捨てたい欲に呆れています)
まだ現時点では小物がいろいろありおさめておかねばならぬ。
結果、大きなゴミ袋が6つぐらいと、以前から少しずつ進めている断捨離古本が大きなエコバック2つ分。今年はこれぐらいで許したるか。

 

さて、次なる段階「掃除」には、十音を始めた年の瀬にこんな投稿をしていて、今でも参考にしています。そうそう、掃除は汚れとの交渉。

reflexologytone.hatenablog.com

 

ぴったりの「交渉役」を見つけると、無理矢理こそげとったり、腕が疲れるほど拭いたりしなくても汚れは中和されて水に流されていく。その水の行く先や、戻ってくるんだよなということまで思ってしまうので、基本飲めない物質は交渉役として雇っていません。

 

ところで汚れを落とすほかに、埃を拭うために「拭く」のが十音。掃除機を持たず箒を使う埃との付き合いは、空気の流れとの知恵比べです。
1日部屋に閉じこもっていると、ある時刻から陽の角度で部屋がスモークのごとくほこりだらけに見え始め、夕方深くなるとそれが見えなくなってほっとする…ってほっとしちゃいけないんですが。
あの綿埃の何割かは人間の垢だ、と、ドラマ「シャーロック」でモリアーティが言いながら、暖炉の上の埃を舐めていたけれど。

でも、昨夜は舞って、沈んだタイミングのいいところである程度雑巾がけをできました。洗ったときに出た「家の垢」の量にびっくりです。

 

水を使う掃除を、こんなに寒い季節に行う必要はない、と言われ始めました。私も本当にそう思うのですけれど、十音には掃除と並行して家のしごとをするその「時間」が必要で、好きです。
この何日間かで、糠漬けを仕込み、シュトレンを焼き、キムチを仕込み、小豆を煮て…


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そこから連想できる引きこもれる冬なんてこの3年間なかったのですが、冬ごもりと、冬支度への憧れは募る。だから食べ物だけは仕込んでしまう。
思えば『大きな森の小さな家』の雪に閉ざされた冬の家の情景が、わたしの身体に幸せな記憶として染みついているのだと思います。幼いころは母が寝る前の読み聞かせをしてくれたのでした。

 

糠床。ちょっと塩を足す。
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