tonenoteトオンノオト じぶんのばんは
久しぶりに、完全オフ。
夫は朝早く起きて、ひとりでバスタから日帰り信州へ行ってしまった。
9時を過ぎても横になっていると、身体が寝ることに慣れて(?)、
無限の「夢ーちょっと覚めてだるいなあと思うーすーっと夢」の無限ループにはまってしまい、いくらでも眠ることができて昼まで終わってしまう。
したいことか、しなければならないことがない限り、人間起きようなんて思わんですね。
今日は10時半ごろ、電話が鳴ってループを断ち切ってもらった。
既に富士見町に着いて、夏用タイヤをわたしの父の家に置かせてもらった夫から、
茅野市笹原の父の物件の中の掃除がとうとうプロフェッショナルに残家財を持っていってもらう段階に来ていて、その日程の相談電話。
隣にわたしの両親がぴったりくっついているのが気配でわかる。
お義父さんがね、こうこうこう言うことなんだけれども…お義母さんに本、渡したよ…と話す夫は
陽気な人質という感じ。
電話の後半はもう父は協力会社に自分の電話を始めていて、
お母さんその本の中に太陽光発電の経費も書いてあるからなどと呼びかける私の声と混ざって、森の中の部屋が騒がしかったことだろう。
いい加減布団の中の湿気も増したのでのろのろと起きながら、
何という状況だと笑ってしまった。
夫はこれからきっと富士見町のコワーキングスペースで原稿を書くか、
移住相談所の、できる美女たちに挨拶に行くか、
温泉に入って冬タイヤで山をドライブしたりして、
夕方の高速バスの時間まで過ごすのだろう。
父は夫を強引にラーメン屋に誘ったあと、物件の案内に出かけるのだろう。
母はソファに沈み込み、わたしが送り込んだオフグリッド生活に関する本を読み始めるのだろう。
*
そもそも、信州に床面積の広い古民家を探してもらっているのは、わたしなのだが、
その宣言が動かしているのは、
当の本人ではなく(何しろここ雑司が谷で10時半まで布団の中で)、
西に見えるあの山のむこうにいる家族のようだ。
夫は軽自動車を買ってそのメンテナンスに足しげく通ううちに、
わたしよりも多拠点生活をしている人として認識され始めたようだし、
彼がパンデミックを機会にとった宅地建物取引士の資格は、期待を寄せてもらっているようだ。
父は、古民家再生のモデルとして手に入れた小さな家の運営をあれやこれやと悩んだり、老老介護に向けて暖かい小屋を建てようと計画したり、個性的なムズカシイ空き家ばっかり俺のところに来るんだと言いながら案外楽しそうに仲介したりしている。
母は、ふくろうのように森の中の家を粛々と営んで、新しい小さなエネルギー政策について理系な頭で練っている(と思う)。
わたしは、雑司が谷でやっと起きて、
どこまでも裏方の、そのまた下請けみたいなこと(ホームページとか制度の説明動画とか、パンを焼くとか、片付けとか)をやりながら
虎視眈々と、自分の番を待っているのです。
今こそ自分の番、というのをわたしはちょくちょく見逃しながら生きてきました。
何をしてきても、踏ん張りどころでさぼるまたは尻込みをしてきた自覚があります。
しかし、メイ・サートンではありませんが、40半ばにとって間違った選択をしている「余裕」はなくなってきました。
床を張り、掃除をし、寺をつくり、
人の足に触れる、爪を切る、食卓をする、湯に浸かる、
音を聴く、軽トラを走らせる
つまり、五感を研ぎながら疲れをとる場所を営むということだけ今は。
その名付けなど後からでよいと思っているので、「リトリート施設」と言ってしまってはなんか違う、と思い、「駆け込み寺」と書いてしまってはなんか違う、と思い。
しかし、70半ばの父が何かを「かたちに」しようと具体的に動いていることが教えてくれるのは、
なんでも解り易く名付けずに、目の前のしごとを誠実にやっていくことだけが、
導いてくれる場所がありそうだということです。
ウィルスとの付き合いの中で十音が得たのは、
待つちから。
けっこう体力がいりますよね。
地味だし。
1日、1日を、ストレスをなるべく遠ざけながら、しかし全身で耳をそばだてながら生き抜き、
3日たち、1週間たち、1か月がたち、3か月がたち、半年がたち、1年がたち、2年が3年がたっていく。
長期戦だとことあるごとにかみしめてきた。
今経過していく時間というものだけは、誰にも等しい。
消化するか、しないかは個人に委ねられていて、
消化して時間を人にしているな、消化不良で人が弱っているな、というのは、
街の人を見ていればもう歴然と違いが表れていると思いませんか。
この冬はこの3年間の仕上げに入り、
10年続けて待てるちからを養ないたいと思います。
ご一緒に。
まずは、肌肉からとか。
一番外側、末端からとか。
写真は護国寺の仁王さんの、
肝経ケアしたい足。
鬼を踏むからストレスもあるのでしょうね。