間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 手放したい

調子が悪いと些細な汚れやくもり、ほこりや抜け毛が気になるようになり、
部屋との折り合いが悪くなる。
部屋にとってもいい迷惑だろう。
おかしいなあ。昨日まではあんなに見えていなかったのに。

 

しぶしぶと、ほこりを拭い始める。
色々なものを捨てて掃除のしやすい部屋になったらいいと思うけれど、
そこは相方のものもあるので勝手に捨てていくわけにはいかない。
それでも今まで、ずいぶんたくさん捨てさせてくれたけれど…

 

あったらあったで時々役に立つモノというのもあったり、
モノがあることで楽にできることがあったり、
豊かな気持ちになるモノもある。

 

独身時代、本当にミニマムに暮らしていたので、
同居でモノが5倍ぐらいに膨れ上がった時は本当にびっくりした。
なにしろ、彼の部屋のものを全部積んだ隙間にわたしのものをついでに乗っけてもらったという感じだった。一人用のベッドも洗濯機もみんなちゃっちゃと捨てた。冷蔵庫だけは400リットルのいいやつを使用していたから、相方が持っていたのを捨ててもらった。
モノを収めるのには苦労しなかった。わたしは結構アイディア豊富なのです。

 
必要なものに圧倒的に満たされてみて、
そんなにモノを持たないことに頑張らなくてもいいのかと思ったというか…
例えば食器とかは、相方がなかなか渋い焼き物を持っていたりして、
それによって簡単なゴハンが急に見栄えるようになったのにはびっくりした。

 

今となっては、モノを買うのはもっぱら私で、
それも最低限の消耗品とか、園芸用品のことが多い。
街に出ても大きな消費欲が沸かず、
オザキフラワーパークにカーシェアで連れていってもらって、
基材となる土や季節のハーブの鉢や種を買うのなんかが唯一の道楽。

 

服も叔母から譲ってもらった和服地で
まとめてオーダーで作ってしまったりしたので、もうしばらくは買わないだろう。
この先1年半ほどは、毎日がパート先との往復なので
清潔なTシャツと綿の黒パンツさえあればいいし。。。
スーツも2着、全く時代の形を無視して作っていただいたから一生着るだろう。

 

一生モノのコートももう持ってしまっていて、
今のわたしの足首まで丈がある(!)ように作っていただいてこれ以上の形はない。私以外の誰も着ることはできない。
確かにおばあちゃんになっても背が低くなるわけにはいかないというのはあるんですが、そうやって、モノがわたしに気合を入れさせたりもする。(あれ、今日の健診、身長何センチだったかな…)

 

掃除とか片付けというのは、今や「自分がどれだけ持っているか」を確認する作業のよう。そして、例えばCDを送るのに使うようなプチプチのついた封筒とか、取っておいたのを「やっぱ使わないね」と捨てる程度でわたしの捨てたい欲は満たされ、すっきりする。

 

でも、1年半以内に、たぶん箱もの(引き出しとか収納系)を、
SNSとかで新しい持ち主募集をして手放すと思う。

本とCDを売りに出すと思う。

自分の身に付いた知識を再確認するために資料をざっと見渡し、
もしかしたら後輩に譲ってもう少し紙を減らすかもしれない。

食器はそのままかもしれないが近くカトラリーを一新するだろう。

もしかしたら「つながり」をちょっと見直して、お互い分かれたほうがハッピーなところはちょっとの痛みとともに別れるだろう。

 

捨てたものもことも、もう元には戻らないということをこの1年で思い知る。
だからといって放つことを怖がっても退屈なので、こだわらず、空いたスペースに入ってくる新しいモノコトを楽しめますように。

休むのは下手だ。
整っていないと休まらないから。
1日でどちらも済ますのはなかなか難しい。
片付けも休みも働くのも「ほどほど」で。
これがこんなにハイレベルなこととは。