tonenoteトオンノオト 感情を名付ける前に身体感覚
特に負の感情の扱いは難しい。
でも正とか負とか、何が決めているんだろう。
天気が悪いってなんで言うんだろう、というドラマのセリフではないけれど、
ここのところ、ラベルやランクや名づけやプラスマイナス、ポジティブネガティブというのをわける前に、丸ごと身体がどう反応しているかをまず感じてみようとしている。
先日レジに立っている時に、
うわっと押し寄せてきた「何か」があって、
即座に感情の名前を付けて対処しようと動こうとした自分のアタマを「ちょっと待て」と押しとどめ、
お客さんがいなかったので居心地をたんまりと感じてみることにした。
肩甲骨の下のラインが痛いな。
気道がむかむかするな。
総合して気分が悪く、なんだかレジ打ちして笑顔で接客できる感じじゃないけれど、
仕方ないからお客さんが来たらまず笑おう。
何回か繰り返しているうちに、肩甲骨下の痛みはなくなっていて、
この状況をわたしは感謝に変えられるという気分になっていた。
今名付ければ、あれは「落胆」だったと思うのですけれど、
わたしは落胆の感情にあたまを支配されることなく、
落胆的な感情を身体で消化してしまったのだと感じた。
最近がっかりってしていなかったなあ。
呑気に思った。
よく、怒りがこみ上げた時に深呼吸とか言われるけれど、
それは横隔膜が動くことで副交感神経を優位にすることと同時に、
名付けたせいでその身体感覚を怒りだと思い込んでいる自分を、
その「怒り」という感情名から解放する時間を与えたほうがよいということなのだ。
無視されなかった身体は
必ず居心地の良い方向に私を連れて行ってくれる。