間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 小さいけれど取るに足るヒストリー

これが<交感>です。交わるからこそ観得できる世界の姿、実相がある。僕の言葉で言えば、それは詩的感性がとらえた世界の姿です。世界を感じとる方法は科学だけではないということです。 (辻村)

(コロナ禍をどう読むか 16の知性による8つの対話 よりTALK07 辻村伸雄×石倉敏明 319ページ

 

2年間という薬機法の定めた研修期間に限るとして、ドラッグストアで登録販売者としてパートをしています。終えるのは次の3月予定。

 

登録販売者試験に受かる2年前2018年から、早朝の品出しの仕事を違う会社でやっていたので、COVID-19が見せてくれることはまるっと、主にドラストのフロアから見ていました。今は品出しのほうは退職して、登録販売者のほう一本になっています。

 

リフレクソロジストという立場や、もとクラシック音楽業界関係者というファインダーが捉えた世界はまあ、このブログに書きやすい感じ(どういう感じ)なのですが、

ドラッグストアの現場は人間社会の一番どろっとしていておもしろくおかしくおそろしいかなしいなまなましいところが繰り広げられる現場です。

 

メガチェーンなので会社からすればほんの一つの駒でしかない、替えのきく存在。

その駒からすればコウビッドくんは、なんというタイミングでなんという物事を見せてくれるのかと、こんな時代にこの外仕事に勤しむことになったのも何らかの何か(?)なんだろうと思うことにしています。

 

そこはいいとして、神経系をキーワードに検索した本の中に、冒頭の本が入っていて、ちょうどわたしの年代を平均にしたぐらいの方々が交わす「コロナ禍」上の言葉を読んでいます。それぞれ「現場」をもつ知性の対話で、分厚い本です。

学術的、哲学的なそのファインダーは、ドラストのレジからのファインダーからもっとも質の違う、遠いところにあるもののように感じました。

 

というより今、労働に疲れ果てた身体ではこの言葉の連なりが「解らない」…

 

わたしにとってコロナ禍は「読む」ことができるような余裕のあるものではなく、戦いの前線みたいなヒリヒリの緊張や虚脱感を伴って、今も私の心身を傷つけてきます。トリガー(引き金)を自分で探しに行っているんじゃないかという自説がありまして、神経系の反応をいろいろと味わってエクササイズを試す絶好の機会ではある。薬店は舞台、技は装置、コウビッド君も共演者、あたしは俳優。

 

この対談が行われていた2020年前半、多くの方が現場を閉じていたと思いますが、わたしたちにはその選択の余地はなく、最も外を出歩いて心身で労働していた職種のひとつだったのではと思います。

リフレクソロジーのクライアントは十音と距離を置き、家族とも会わず、なぜ十音はセッションルームから遠く離れたこんな舞台で知らない人たちと濃厚接触狂詩曲してるんだろうというのが、一番納得のいかない事項でした。

 

それは、今、抗原検査キット(「医療用」ってやつ)を販売したり、鼻腔拭い液をここへ滴下しなさいとか指示しながらも変わらず思っていることで…


身分証明書をビニール袋に入れたり、携帯をラップにくるんだり、入口で消毒液を山ほど手に振りかけているけれど、そういう人たちにとって店員は危険な存在ではないのか?無菌のアンドロイドじゃないぞ?今朝もあんなことやこんなことがあってコウビッドまみれだぞ?と警告したくなる距離感の「依存」を時にはぶつけられることに、神経系の中でくすぶる何かもある。従業員だって感染を恐れるいち人間のはずなんですけれど。その恐れがものすごく軽く扱われている気がします。

 

わたしはぱっと見、落ち着いていて自己管理の行き届いて、ちょっとおっちょこちょいで優しい従業員さんなのですが、それは人の身体のケアをする職業上ここでバランスを崩したり、不調を見せたり、気が狂ったりしたらダメだよなあという最後の自尊心みたいなもので。

 

リフレクソロジストとしての十音が、レジの山﨑の腎臓を必死になだめていると思います。

 

それで、なんで冒頭の文章かというと、分厚い本の中の、このあたりは身体に吸収されたからでした。

 

「地球は、大気、海洋、土壌、生物圏を含んだ一つの複合体なんだ、と。そして、それは自己調節機能を持っている、つまり、生きてるんだと。これがラヴロックの「ガイア仮説」です。(辻村 313ページ)

 

デイヴィッド・クリスチャンという人が書いた『オリジン・ストーリー』も読んでみたいと思いますが、もともと、五行説はこういった「人間と非人間の調停」をしていると思いますし、新たな言葉を得るのは楽しみです。

 

現場の数だけまたは人の数だけ、この対談にでてくる「地図」や、陰陽五行説があるということを、もうちょっと書きたかったのですけれど。

 

晩酌の時間が来てしまいましたので、きょうはこのへんで。