2021 寒露 蟋蟀在戸 濾過
2日後、満月で土用入り。
立秋が真夏の気温の中なせいか、秋の収養はあまり実感しないままにうっかり冬に来てしまったような、昨夜から今朝は寒かった。
律rhythおわり、冷えたビールの前に養命酒で血液を巡らす。
日曜日はパートが終わると夕方に何等かのパスタと、鶏を焼く(サンデーロースト)が常となっていますが、イベントを入れた日はパスタを抜き、その代わり野菜をじっくり焼く。ガレットにチーズをふってしまいましたが、ささやかな依存にご容赦を…
この1週間は実は「手技療法者の部室」もあり、律では初めましてのご縁もありました。二胡と中国語のレッスンもありました。
施術はゆったりと焦らず埋まっていく。不思議な巡りが。
そんな巡り合わせのクライアントや先生と、
窓の外が勢いよく暗くなって、十音の灯りがふんわり古いアパートの壁を染めるような時間で話す。
皮膚を介したり、楽器の音を介したりというやりとりと、
言葉によるやりとりと、
多重のうちあわせ層が施術部屋に生まれて、だんだん湖の底でゆらゆらしているみたいになっていく。
毎日のパートの白い光の世界と、十音のとろりとした世界とを行き来する毎日。
それはそれで生き心地のよいものです。
ただ、いつまでも続けたいとは思わない。
ウィルスとの付き合いをしながら、世界がおおきな腎臓みたいに水を通して、人間関係も仕事も濾過の真っただ中にいる。
持ってくれよこの人の腎。倒れるなよ。
いつもそう思いながら足裏の縦ラインに指を入れる。
腎は生命力。腎に老廃物が溜まると背中が痛くなる。
生き抜くのはたいへん。でも軽く解れながら生活をすることはきっとできる。
大いなる濾過の中で、わたしの刺激を必要としなくなり、十音から排出されていった人たちのことを、時々は思い出す。
十音の水はごうごうと流れるので、そんなに長くは留まらない。
朝になればまた商品の城壁のような売り場へ行き、接客の千本ノックをはじき返すから。
少しずつ、筋力が付いたり、コツやテコを学んだりして大きなものを動かしたりできるようになる。