間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

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3月19日(土)

今日のリベラルアーツ二胡と中国語。

二胡はビブラートの事始め。弦楽器のビブラートの練習法は、声楽にも応用できそうです。歌の時は自分の身体の中のことで、闇雲に練習していたものが、外の楽器を鳴らすとなると「筋トレ」としてよく客観視できる。
ビブラートにもいくつかの種類があると伺う。今日は手指の第1関節の曲げ伸ばしで弦の押さえる位置を変え、音に波が生まれるやり方の最初の一歩。ほとんど半音の動きを繰り返すので、ちょっと気持ちが悪いけれど、「センスのいいビブラート」を手に入れるためにこれからゆっくりゆっくりやる。

 

中国語は、「听説」(~のことを聞いています)と「問」(~について訊く)の用法。後半は李白の「関山月」の読み。漢詩を通して吟読すると、四声の感覚がつかめる気がする。ある四声の、前と後とのつながりが肝なのだ。四声ってネウマみたいといつも思っているんですが、ネウマだってそれだけ一つ書いてあっても歌えなくて、前後があるから定まってくるものだった。詩を音読するのは言語の音を学ぶのにとてもいい。

先日、上海小籠包の店「孫ちゃん」で1人御粥を啜っていたら、お店の方も中国人だしお客さんにも中国の方が多く、飛び交う中国語のうちの数字と、麺という言葉だけはわかって、なんだか中国に来ているかのような楽しい気分になった。あと、隣のカップルのうち女の子が「対、対対対対…」(ドゥエ、ドゥエドエドエドゥエ…)そう、そうそうそうそう…という意味なんだけれど、激しく相槌を打っていることが分かったり、カネシロタケシばりに低声の美しい男の子のほうの謝謝の発音にしびれたりと、少しずつ言葉が判っていくって世界がカラフルになります。

 

語学を一所懸命学ぶ人の話で印象的なのは、
映画『愛を読む人』の中でケイト・ウィンスレットが本を開き、昔、恋人に音読してもらって理解していた意味を辞書代わりに特定の単語にマルをつけながら読み書きを学んでいくところと、
宮本輝さんの小説で、ポーランド人のお父さんが、監獄に入っている時に食品が包まれていた新聞紙に印刷された外国語の文章の意味を看守に訊きながら、通訳として生き残るという話。
言葉は強い。シリア人の難民だった方がドイツでドイツ語をマスターし、看護師の職を得て、ウクライナの人に「語学は頑張れば習得できる」と励ます記事にも感銘を受けている。

 

2年8か月通勤した早朝のアルバイトを先日退職したのですが、そのうちの2年間ぐらいは、帰り道に必ずラジオ英会話をアーカイブで聞いていた。週3日の勤務になると、5回のうちの3回を聞いて終わってしまうことも多かったけれど、「英語は配置」と繰り返し耳に入れて少し恐れが減ったかもしれない。あとは単語と動詞句を覚えないといけないなと思っているけれど。