2021 秋分 蟄虫培戸
今朝の東京新聞6面 考える広場に載っていた ルポライター中村安希さん面白かったです。
氷河期世代ライターの憂鬱とサブタイトルが打ってあったけれど、
論説委員の問いに答えるに+αされる部分がいちいち力強い。
印象に残っているのは、
蓄えのことで言えば、私には生活力があります。肉体労働ができる体力、仕事につながるネットワークやコミュニケーション力、学んだ知識もあります。そうした資産がなかったら、状況を相対化して考える余裕もないまま、目の前の問題に取り込まれてしまうかもしれません。政府が示す「標準的な人生モデル」からは逸脱しても、そもそも標準を目指さなければ、もっと楽に生きられるのかもしれません。
という言葉の連なり。
1979年生まれの彼女はわたしと同じく就職氷河期世代とのこと。どうやら1993~2004年に高校や大学などを卒業した世代をこう呼ぶらしいのですけれど、今の40代。この世代って見事に何にも引っかからないというか…本当にニッチで、後輩と先輩が投げ合ったボールが落ちまくる谷みたいな世代だなと、日々思っています。
豊田論説委員が
「私はバブル世代です。入社以来、ひたすら人と会い、自らの経験や喜怒哀楽に照らして三十年、記事を書いてきました。いわゆる組織ジャーナリズムのなかで、知らず知らず感覚が市民社会と離れそうになったり、権力の側に引き寄せられそうになったりする側面も否定はできませんが、筆をゆがめるようなことはなかったつもりです。」
と自身を肯定すれば、
私は逆に、読者の属性を意識せざるを得ないというか、筆をゆがめて生き延びてきました。
と言い放つ。時給は1000円~1200円、とても安定した暮らしはできない、と半否定しつつも自分が前述のとおり「持てる者」であるという自覚がある。
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十音にははなから就職活動をするつもりがなかったので、何十社落とされる、といった経験もなく、なんだかわからにけれどお金はない方なんだろう、という生活をしてきました。
今まで何度か「標準」と自分を比べたことはあります。でもなぜか、すぐにその幻想は崩れ、自分自身のチャレンジングでぎりぎりでいちいちインパクトの強い生に惚れ直すに至る。
この方のぎりぎりだが踏み外さない、身体を動かす解決方法に強く共感します。
標準に対する思い凝りって、勇気さえ引きずり出したら案外あっけなく解れます。
体が動けるようにしておくのは大事。
毎日のしごとが自分の体を鍛えてくれます。
今日はセッション後、薬店夜シフトという初のスケジュールで、明日は朝シフトなのでちょっと緊張していて、先ほどしっかり昼食兼夕食を食べました。
牡蠣、ホタテ、なす、きゃべつ、ピーマンの卵とじ丼。
番頭からはこれ金が取れるぞとほめてもらいました。おいしかったなあ。