間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 世界史

休日は朝に世界のニュースを取りに行くことができる。

今朝はアフガニスタンの政権崩壊が衝撃だった。

わたしは落ちこぼれで政治にあまり興味が持てずに来たけれど、

機会があればいろいろ知ってみたいという気はある。

 

落ちこぼれたポイントは、

歴史と社会と政治というのをごっちゃにしていることと、

まるっと考えなければならないときに変に分けてしまうこと。

 

すごく余談ですが、とても久しぶりに「音楽マネジメント」という言葉を読んだ。

同時に、音楽は社会に何ができるか、という懐かしく、どこか時代遅れなフレーズも。

毎日働くために身体を整えることに必死になり、そんな言葉があったことを忘れていた。

ウィルスとの付き合いが始まって久しく、オリンピックも終わり、

今や、音楽が社会に対してできることなんて、テーマの設定としてぬるいのでは。

かわりのテーマがバシっと出てこないところが自分の混乱したところではありますが、

社会の何を切り取って音楽と対峙させるかが明白にできない音楽マネジメントなんて、

確かにマネージャーが必要だわ…とほほ…

わたしもずっと「社会に何ができるか」と熱く思っていたタイプで、何も成し遂げなかったので、そう思うのです。

 

 

社会って、便利な言葉です。

小学生の時は社会科

中学生になって地理、歴史、公民に分かれ(公民…)

高校になって、日本史、世界史、倫理政経に分かれ(倫理と政経を一緒にするんですね)

成人したら、また「社会」に戻る、自分の専門と社会を向かい合わせる。その「あいだ」について考える。

行動できる人は、きっと中高で「社会」を自分なりに系統立てて学び、身につけてきた方なんだろうなと思う。

わたしはごっちゃごっちゃだった。

 

そこで、ごっちゃごっちゃの自分を少し解剖してみようと思って夫の高校時代の世界史教科書を引っ張り出してくる。

社会科基礎の教材(活字)としてまず身近にあったからだ。

 

 

30年弱ぶりにめくる開始1ページからいちいち突っ込みのある教科書であった。

あまりにも「きちんと分けましょう、解しましょう」と定義があって、

自分が今から何年前にいるんだか見失う版なのですが、

大人になったわたしはこちらから差し込みを入れて乗り切っていくことに。

さて船出です。

 

人類(注釈①) の歴史は、おもに文字による記録に頼ってたどることのできる歴史時代と、それ以前の先史時代とに大別される。前者を研究するのが歴史学であるが、後者は考古学・民俗学・地質学などの成果を総合して研究する先史学の対象である。

 

注釈① 人類とは霊長類ヒト科の動物であり、現代の人類はそのうちのホモ属サピエンス種である。人類は直立二足歩行し、それによって可能となった手で道具をつくり、それを使用することによって他の霊長類と区別される。道具の使用は文化の始まりである

 

これって教科書の最初の4行とその注釈なんですけれど、

とても大事なことがおなか一杯入りすぎではないだろうか。

 

要領の悪い10代のわたしはたぶんこの4行ですでにつまづいていたのだろう。

 

そして、共通点としては「直立二足歩行」しかないさまざまな化石人類が、

「死者の埋葬」という初の精神文化に行きつくのがそこから2ページ先。

細胞の記憶というのは面白いものです。施術には原始が入っている。

 

こうやって突っ込む感想は、情緒的とか感覚的とかに過ぎて誰のためにもなりません。自分でやっていて夢中になるが疲れもする。

だから活字を読むのは、舞台を見たり音楽を感じたりするのと同じく気合がいります。

いちいち語り掛けて来るものを感受し言葉にしようとし過ぎるのかもしれないけれど、

そういう、精神文化の大事なところを活性化しながら学びなおせるのも成人のいいところ。

体力のあるうちに、やっておこう、と思います。

 

情緒的はいけないことではない。だって、山川出版社の世界史にだってこんなフレーズが出て来てくる。

 

農耕・牧畜と遊牧の開始は人類が自分の手で食糧生産を始めたことを意味し、いわば文明へととびたつ離陸であった。

 

二足歩行から離陸だよー!ロマンですね。

 

ちなみに、獲得経済と生産経済についても、開始12行目ぐらいで出てきます。

マスク騒動でわかる、旧石器時代新石器時代どちらに生きる人か。

次に騒動に巻き込まれた時には、ああ、旧石器なのね、と思うことにします。


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