間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 立夏 蛙始鳴 5/7 薬売り見聞録

心許ないし、政治家に意見のメールを出して変革を望んだり、嵐を起こす羽ばたきの一つになろうというようなエネルギーは残っていないのだけれど、

自分の半径1.5メートルほどの平和をそれこそ必死に保とうとしている。

 

微笑むこと。ぶっきらぼうにペイペイのバーコードを突き出すひとびとの小さな「はーい」とか「ありがと」の声を聴く。レジ袋はいかがしますか?と問えば必ず見られる、反応(または無反応の)豊かな個性。みんな答え方が違うのだ、その一瞬の答え方にぽたっとその人が出る。

1時間お店にいれば、何十人かの人々がわたしを通り過ぎていく。そこで何十人がそれぞれ「ぽたっ」と落としていく。

私の中で、一滴が溜まっていって、その日にお店を訪れた人々全体を象徴するペルソナが形作られていく。

今日は、シャイでせっかちだけれど優しい方たち、とか。つまり目を合わせないしカードは機械の準備が整わないうちに差し込むんで、エラーが出るんだけれど、そのあとは大人しくわたしと一緒に問題解決に臨んでくださる。わたしもだんだん、手際よくリードできるようになっていく。所作が必要。まだ差し込むな、とかどうぞ、とかいう手の動きや声の誘導。

 

1年前、マスクや消毒液やハンドソープや、ペーパー類が品薄だった時には、前者薬店のペルソナは不安と恐れのあまり理性が崩壊していて、現場のスタッフは本部との板挟みでひたすら耐えていたと思う。罵倒の声も感謝の声のほうも、他人に聞こえるようにと大きすぎて、全く対等でなかったのを思い出す。接客はわたしの業務ではなかったけれど、接客の担当者たちがあまりに疲弊していて、案内せざるを得なかった。

 

1年たって、考えて動く人が増えた。

何にも100%頼り切ることはできないということを知って、
スタッフに当たってもないものは出てこないことを知り、
ペルソナの微笑みには諦めや疲れがにじみ出ているけれど、ちょっとユーモアも感じられる。

 

出掛けて、何かを買って帰ることも、生活をほんのちょっと変えるための旅なのだ。

お店に入ってきた時とは違う身体で、出ていく。

その細胞にわたしからの誠意が、いい作用をしてくれるといいなと思う。

 

雑司が谷に戻り、セッションをすれば、そこでは2時間に1人を相手に一つの足に1000回以上の問いを差し込むような時間を過ごす。

ぽたっとどころか、クライアントの深い湖に一緒に潜っていくかのような密度。今日は急流、渦潮あり、明鏡止水とか、濁って視界がきかないが一緒に先に進もう、といったチャレンジをして、底のあたりから水面の光を見上げて、一緒に上がってくる。耳抜きが必要な人もいる。

 

そんな毎日の中で、自分の身体感がずいぶんと変わってきていて、人人を濾すフィルターとして健全に美しくたもたにゃならん、というような…つまり自分自身の芯は前よりもたくましくなったのですが、憑代として外から眺めているような気分になるのです。

 

セラピストとしてのわたしの身体はやはり通り過ぎる人数分の情報処理にエネルギーを使っているらしく、ジグザクしながらゆるやかに体重が減っていく。筋肉量はもっとゆるやかだけれど、増えていく。

 

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