間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

足踏みしゃくとりむしの偏愛

このように逃げ場のない暑さの中では、

暑苦しい自分の肉体さえ消えて、

「刺激」のみがスピリットみたいにそこで仕事してくれたらいいのに!

 

でも液体のない刺激的なスピリッツの酔いはない(あったらアブナイ)ように、

施術者がそこにいることというのが、

サイエンスではない何かのために、必要なことなのでしょう。

少なくとも十音のしているセラピューティック・リフレクソロジーでは。

 

このリフレクソロジーの施術に特有な、Rotating Thumbという手技。

リフレクソロジーと言ったときによく連想されるのが

しゃくとりむしのような動きをする親指だとしたら、

ポイントに親指の先を置いて、くるくると回しながら圧を加えるこの手技は

「足踏みしながら進むしゃくとりむし」みたいな感じでしょうか。

 

その足踏みが地味ながら実はインスピレーションに満ちていて、

施術にアートの要素を加えてくれていると十音は思います。

 

鍵盤に親指を置いたり、押し込んだりするのと一緒で

 

連打のタッチの質が刺激の質になると同時に

次の鍵盤への受け渡しの質が、施術のキャラクターとなっていく。

 

親指の連打だけで、いい旋律が弾けるだろうかという毎回のセッション。

 

4年前の夏、まだ開室したばかりのころ、その連打の回数を数えたらしい。

 

reflexologytone.hatenablog.com

 

その2000回以上のドアの叩き方次第で、

クライアントが戸を閉め切ってしまうこともあれば、

(うっかり)隙間が空いて、

そこから不調がぽろぽろとこぼれ出ることもある。

 

歌えるだけの圧が高まるように、

弦に指を置くときのように、

チェンバロの爪が弦をはじく瞬間のように、

パイプオルガンの空気が送られていた管のフタを、指を鍵盤から離して閉じるように、

「親指の足踏み」には3回なら3回の音色がある。

 

唄う方が、「息を止めるのと、息を切るのは違う」と言うように

十音の「足踏み」は、離す瞬間に思い入れています。

 

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ただ、施術者にとって、このRotating Thumb の手技は身につけるのに数と種類をこなして慣れることが必要でした。

さまざまな状態の足の肌肉の上を足踏みさせてもらって、自分の手技にしていく。

 

そして、慣れるまであまり加減が効かないことや、全身を使うのにコツがいって下手をすると腱鞘炎になることや、手のひらが疲れるなど…加えてみた感じが地味でエンタメ感に欠けるので、ちょっとした偏愛がないと「飽きてしまう」人もいるのでしょう。惜しいことです。

 

セラピューティック・リフレクソロジーは、

東洋医学の経絡の流れと反射区(ゾーン)が融合されていること、

五行との対話でさらりと出るナラティブ、

といった華やかな体系にドキュンと、

そこにひかれる方が多いと思うのですが、

 

施術者の個性が反映される「隙」のある手技であることが、

大きな魅力ではと思います。

特に、「リアルな」セッションの上ではそれが全て。

「足踏み」の相性が良かった場合、

東洋医学的な見立てなどクライアントが自ら導き出して揚々と帰っていくもの。

 

ウチの足の物語 は、だから全てではない、言ってしまえば十音の偏愛の半分も出せていないということです。

 

自分に課すのは、

人に触れられなくてもしゃくとりむしを育て続けること。

嬉しい90分には、その一足一足の音を聴くこと。

 

それができればわたし自身は

そこにいなくてもよいのでは…と、暑苦しいから(振り出しに戻る)

  

 

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