間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

それを何て呼ぶかなんて知らずに。

どうも、「名称」に囚われすぎなのでは。とドラッグストアでマジックリンを棚に入れながらそんな気がしました。目の前の商品とはまったく関係なく、モノを無心にあつかっているとふとそんな気が降ってくることが多いのです。

 

例えば、「ロジカルシンキング」という言葉を知っていることは素敵なことなのでしょうが、ロジカルにシンクできればわたしには十分かも…。
みなさんはどうでしょう。普段やっていることでもやっぱり名があると安心でしょうか。

 

そうなんですよね。自分がもやもやとやっていることに、名称があることを知ると、人って嬉しいんですよね。でも、その名称を知らないからと言ってあなたが勉強不足なわけでも、レベルが低いわけでもないんじゃないか、という話です。

 

 

思考法にはさまざまな名称がつけられ、学者が提唱している。そういう考え方もあるのかーと知るけれど、それって日々思考して必死に生きていたら自然にとっている方法だったりする。

 

例えば最近バリューグラフという考え方を知った。壁にぶち当たった時の代替案の考案法。それを提唱してくださった人がいるらしく、ビジネスの一般教養として学ぶようだ。でも実際みなさんどうなんでしょう、代替案を必死に考えていれば、そのような考案法は自然にやってたり、思いついたりしているのでは。。。いつもでなくても時々は。

 

それを何と呼ぶかなんて知らずに。

 


わたしがそれを名付けるとしたら単に「原点回帰」「初心に戻れ」かな。ところで何がしたいんだっけ…ということ。バリューグラフという名称は知らなかった。でも、バリューグラフっていう名前でそれが図示された時、なんだかすごく新しいものを見たような気がしたのはなぜだろう。

 

そのあたりでマジックリンは入れ終わり、フローリング用のウェットシートなんかを整理していたのですが、息が苦しくなってきました。マスクのせいもあるのですが、今日は暑かったですからね。

 

人は、名称や定義が好きだ。だから身体を臓器で区切って細かく名付けたんだから。
わたしもその名称や働きを細かく知るのは好きだ。
でも、その名付けてほしいという渇望が、行きすぎたときに、
人は自分の技を流派分けしてほしくて「資格」に固執してしまったり、
華やかなコピー文言に踊らされたり、
人の嘘が見抜けなくなったりするのではないだろうか。

 

とそんなことを考えたのは、わたしは自分の手技をもっと活用したくて、もっと身体のケアについて信用を得たいと思い、最近ある療法系の国家資格のことを調べたからです。

 
結果、それは医師とセットでないと機能しないことや、資格をとったとしても国家資格としてさまざまな制約があること、3年ないし4年間学校へ通い多額の授業料(と、施設料、実習料、ユニフォーム代、そして同級生と交流するためのレクリエーション代、とか…)がかかるということ(平均年齢20歳と体育祭することはそんなに必要だろうか)、すでに学び方を知っていることも再び授業を受けなくてはならないこと、などを知りました。

 
親切にいろいろと教えてくださったご担当の資格取得者は、わたしが個人事業として施術をしていきたい限り、今から取ってもその資格は生きないと思うという意味のことを、はっきりと言ってくださいました。民間で何年も人を観て、鍛錬した手技療法士のほうが、その資格を取った新人よりつかえるし信頼されるかもしれません、とも。

 

ただ、この資格をとると就職率100%で、だから今若い人たちが殺到していると聞きました。

 

なんでそんなに需要があるのか。その施術を受けるのは、すでに身体を壊した主に高齢者だから。そして保険診療の点数がついて、国家からお金が補助される。その資格保持者として今健康な人のところへ派遣されるときは、ほとんどボランティアであって、予防医学の分野では食っていくことができない。

 

なぜ、国は「ケガしちゃったあと」に払っているそのお金を、「予防」のほうへシフトしていこうとしないのでしょうね、とご担当者と苦笑いながら、ここに資格のカラクリがあるのかな…と感じました。資格が悪いわけではなくて、特に国家資格を掲げたビジネスと、国の癒着加減について。

 

 

わたしにとって資格は、必要に駆られて天命みたいなもので取るのかも。
十音を始めた私には南アフリカ共和国では国家資格である事実や、セラピューティック・リフレクソロジーという名称は注目してもらうために必要でした。
  

しかし、十音の一式が、すでにセラピューティック・リフレクソロジーからはみ出てしまっているのも確かなのです。(90分という時間からしてドーガン女史の提唱されたものではありません)

そして、実はセラピューティック・リフレクソロジーという名称ではうまく説明できないところが生じてきている。

 
もうそろそろ、資格や名称を手放して(それは返上するということではなく)、「ところでわたしは何をやっているのか」を説明したいと思う。

 

一番大切にしていることは、静かな間。
手技もデポジット破壊とは変わってきている。
「セラピューティック・リフレクソロジー」とわたし。お互いのために、わたしが新しい名を探すべきなのではないだろうか。

 

 

もうひとつ考えていたのは、「自分を安くしない」ということ。どんな働き方であっても。それはまた今度。

 

 

 

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↑ あきさわ園 から梅を5キロ買いました!不揃いだからの愉しみ。
瓶にもこのグラデーションで詰めていきます。

 

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今日はローズマリーを植え替えしました。
大きな鉢やたくさんの土だからいいというわけではないみたい。
水はけがよくなかったようだから。
未だに、「土が乾いたら、たっぷりと水を」というトリセツの、
土が乾く程度がわかりません。
(身体の水はけについてはさんざっぱら語るのに!)

 
それで植物を枯らしてきましたから、恐らく…ウチのデフォルトの土が、水はけが悪くいつも黒いからいけないのではと色々改良を試しています。
よく働いた…(のかな?)