間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

混沌。

ハンス・セリエによれば、

わたくしは順調に汎適応症候群の段階をたどっている。

 

警告反応期が2か月続いて、

3月からこのかた抵抗期。

持続的なストレス状態に一見慣れたかのように見える、

アブナイバランスですごす日々です。

 

確実に、次に来るのは疲弊期。

心身がこの同調圧力に対抗できなくなる。

多分、5月後半。

 

ハンス・セリエは名言を残していて、復習していたら出て来たので、シェアします。

 

ストレスが私たちを殺すことはありません。それは、私たちのただの反応なのです。

 

ストレスは、生活のスパイスと考えなさい。ストレスというものが存在しなければ、人間は滅んでいただろう。

 

世界に貢献することに焦点を合わせなさい。そうすればきっとあなたは長生きができるでしょう。

 

ストレスを避けてはいけません。それは、食べ物や愛、運動を避けるようなものです。

 

全てのストレスは、私たちに傷痕を残していきます。でもそれは、おなじようなストレスに襲われた時に、今度は私たちを守ってくれるのです。

 

わたしには外出自粛という言葉がストレスです。

 

自粛とは要請されるものでしたっけと、拒否感があります。

 

もし自発的に人との接触を避けるとしたら、

それはより弱いものを守るためなのですが、

なぜ、弱いものを守らなければならないのかが、

実は最近、よく解らなくなってしまいました。

 

新型コロナウィルスと共に試行錯誤する世界の中で、

わたしは強いんでしょうか、弱いんでしょうか。。。

 

どちらにしろ、日々違和感が募ってきている、ということだけは判る。

 

 

***

 

かなしみに溺れるのは実は楽なことなのだと気が付いた。

かなしみに別れをつげて笑うことが、実は一番かなしい。

でも、もうそろそろ、バイバイしなければいけないということを知っている。

 

創造力のある人間でいたいからです。

 

 

ところで、手技もストレッサーですね。

わたしは癒すのではなくて、ただ刺激を入れる者として、

とにかく「刺激の自粛」に納得がいっていないのです。

 

本日のドラッグストアは、棚1つの前に大人が3,4人も並んで洗剤を吟味しているすごい過密状態。

みなさん、初めてのおつかい?それとも初めて洗濯なさる?

通路が狭いのでぶつかる人もいる。

ハンドソープもどんどん売れますが、みんな今まで何で手を洗っていたのだろう?

 

何度でも言いますが、

どうしてこれがOKで十音のリフレクソロジーがダメなのか、と

 

解のない質問をする。

解かろうとする。

分かることには興味がない。

 

仕事の自粛と、

旅の自粛と、

買い物の自粛と、

散歩の自粛と、

人と会うことの自粛と、

人に触れることの自粛、

思いを馳せることの自粛、

愛することの自粛、

誰かが自粛を叫ぶとき、

ぜんぶごっちゃになっている。

善意の叫びだったり、正義の叫びだったりが多いわけで、

それに違和感を感じる自分を責めて、引き裂かれるという感じ。

 

サンミツとやらを避けて、たぶん弱いものを守るための行動であるはずが、

「自ら粛する」をそれぞれに都合よく解釈し、思考せず、人のせいにした、

怠け者の人間がどんどん増えている。

 

道を歩くぼんやりとした顔をしたジャージ姿の人たち。

 

脳内を爆音でヘビーローテーションできる今の歌が欲しい。