いい夕方ですね。
雑司ヶ谷手waza市特別バージョンを終えて、
高田の自宅に戻りました。
目白通りを渡ると、地名が変わります。
自分が書いたものを、声に出して読んでみるのはいい機会でした。
懐古とかではありません。
何言ってるんだかわからなくてホント驚愕です。
頭の中で呟いていることを文字にしているのだと思っていたけれど、
実際にはパソコンの画面で組み立ててますよね、言いたいことを。
***
フェイスブック上には、
本当に弱っている人は現れません。
わたしはオンライン上で集うことが、
オンライン上で出かけられない弱っている人を、
さらに孤独に追い込むことがないかを気にしています。
お金を使わずに楽しみ生き残る術がわかってきているロストジェネレーションと違って、
今やばいのは、アルバイトがことごとくなくなった、18歳以上20代の人たちではないかと思います。
流行りのブックカバーチャレンジも、彼らから見たら余裕のしぐさに見えるかもしれません。
(中年は中年なりに、それなりに辛い中での活きる術などを模索して、こういうことになっているのだけれど)
わいわいとオンラインで集う人たちを横目に、
静かに社会から身を引いて、
静かに社会への怒りをためている若者が多いのではないかと感じることがあります。
怒っていたらまだマシなんだけれど、
そのエネルギーもなかったり、
もともと体力なく、怒りをためるのはめんどくさいと感じている人もいそう。
甘えるのは20代の特権なので、
周りの中年が察して、
実はつついてやることが必要かも。
しかし彼ら静かに籠っているので気づかない。
今日のライブで悲しみの沼にずぶずぶと沈む馬の話をしました。
肺を病むと悲しく、声に力がなくなり、足音が小さく小さくなっていきます。
それは一対一のサシじゃないとわからないことが多い。