間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

勇気とアクセルの話。

誰かて臆病やねん。勇気ってのは、自然には湧いてけえへんよ。私、このごろ、それがわかってきてん。いつも勇気凛々なんて人間、いてへんわ

 

さっきの、勇気についての話やけど…たしかに勇気ってのは、自然には湧いてでたりせえへんなァ。俺、いままで自分のなかから勇気が自然に出て来たことなんて、考えてみたら一回もないわ

 

そやろ?いつまで待ってても、勇気は出てくれへんやろ?みんな、そうやねん。臆病風なんて、ほっといても勝手に心のなかをしょっちゅう吹き渡ってるねん

 

そしたら、勇気っちゅうのは、どうやったら出て来るねん?

 

勇気は、自分のなかから力ずくで、えいや!っと引きずり出す以外には、出しようがないねん。それ以外に、どんな方法もないねん。勇気を出そうと決めて、なにくそ、と自分に言い聞かせて、無理矢理、自分の心のなかから絞り出したら、どんなに弱い人間のなかからでも、勇気は出て来るねん
勇気を絞り出せへんかったら、どんなに立派な体格の男でも、歯医者さんのドアをあけられへん…
そやけど、そうやって必死で自分のなかから引きずり出した勇気っていうのは、その人が求めてなかった別のものも一緒につれて来るそうやねん

 

それは何やねん?

 

 

 

その人の中に眠ってた思いも寄らん凄い知恵と…

 

 

 

 

もうひとつは、この世の中のいろんなことを大きく思いやる心。このふたつが、自然について来るそうやねん

 

 

宮本輝『にぎやかな天地』から、32歳のフリーの編集者聖司さんと、姉の35歳看護師の涼子さんの会話。ト書きを省いて鍵カッコだけ抜き出してます)

 

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よく、お客様と勇気の話になる。

 

そういう時期だったり、必要としていたりする方が多いのですよね。

 

その時にいつもこの「勇気は、自分のなかから力ずくで、えいや!っと引きずり出す以外には、出しようがない」という宮本輝のフレーズを思い出す。

 

そして、引きずり出された勇気が連れて来る思いも寄らない2つのことについて。
前者「知恵」はわかる気がする。
でも後者「心」のほうが、ぼんやりしていて強い実感がない。

 

もう一つ、同じ小説のなかに、

 

アクセルを踏みながらブレーキも一緒に踏むような生き方はあきまへんで

 

勢いのあるときは、がんがん行きなはれ。それは年齢とは関係おまへん。若い人が伸びてくれんと、国は滅びますよってに

 

 

と「ご隠居さん」が言うところがあって、
それは聖司の、

 

やれるとこまでやってみよう、っていうのは、誰にでも思えるんです。ぼくは、それは勇気ではないと考えて、たとえひとつの仕事もなく、食えなくなっても、この仕事をやり抜くって決めたんです。 そしたら、国枝さんからこんな大切な仕事を頂戴しました。ちょっとうまいこと行きすぎやないかって不安で。その不安が、『お引き受けします』っていう返事をすぐにしてしまうのを、何て言うか…

 

という説明に対してしばらく黙り込んだのちに発せられる。

 

この「アクセルとブレーキを一緒に踏むのをやめましょ」についても、息を吸い続けながら歌を歌おうとするとか、いろんな拮抗するエネルギーに言い替わりますが、よく語り合っている気がします。

 

「何て言うか…」を口癖のように言うわたしも、
まだまだホンモノの勇気引きずりだしていないんじゃないかな。

いつも勢いよく、「やれるとこまでやってみよう」って書くけれど、ホンモノの勇気は独りで黙って引きずりだすもんなのではという気がする。

 

頑張れ、という呼びかけに、イタリア語だと、
Forza!とCoraggio!の2種類があるということを知ったのはオペラの勉強をしていたとき。
ラ・ボエーム」の最後に、印象的に coraggio !という言葉が出て来る。
そこには、キミの恋人は今亡くなったのだが、気を強く持て、崩壊するな、という友人の祈るようなきもちがにじみ出る。甲斐なく男は崩壊するけれど。

 

勇気を引きずりだす時、人間は孤独。その時のために、からだを調えて強くなろう。