間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

tonenoteトオンノオト 八綱弁証法と、陰陽五行説の間にある、マップにしにくい感じの空白

漢方について、素晴らしい著作がいっぱいあるけれど、
八綱弁証法と、陰陽五行説の間にある、マップにしにくい感じの空白と言うか、
ごまかしというか…って気になった方いらっしゃいませんか。

八綱弁証まで順調にロジックツリーを描いてきたのが、
「実は東洋医学の考え方には五行論というのがあって…」などと、木火土金水のエネルギー関係が出て来た途端に、ちょっと枝が切断されるような感じが。

どの方の著作にもある。

 

でも、語らなくちゃいけないんです、とばかりに章を設けられて語られはするけれど、そのあとの漢方の方剤や生薬の話にはひとフレーズも出て来ないので、本を読み終わるころには忘れられている。

 

つまりは、抽象性が高いその世界は治療家にとって、基本を行えた上のよりダイナミックな処方とか、センスとか、クライアントと世界観を共有するために必要なものなのかもしれない。

 

いっそのこと六病位と気血水までだけで土台をしっかりしてから、引経報使(五行と経絡理論)加えたほうが、混乱せずに奥行が出るかと思ったりもするけれど、十音が学んだ順序は逆。

 

しかしその逆の順序もようやっと役に立ちそうです。
五行内の相互作用を体感できていると、あとが速いはずと思います。

というのは、わたしは以上のような「枝切断」で何度も道を失い、迷子になってきたのですけれど、そのかわり何度も何度もその地図を読んでぼんやりした用語の蓄積が頭にありました。あそこにお蕎麦やさんあるなーとか。警察署あるなーとか。

今日はまず1冊ノートをとり表を写しながら理解しようとして、それぞれの用語がちゃんと呼吸を始めて活きてきたような感覚があります。

迷いながらも眺めてきた地図の学校とか警察とか図書館とかお蕎麦さんとかが、「ここに建ってるんですよー」と旗を振ってまっていてくれるみたい。

 

読んだ本が、漢方を図解したり表にしたりすることに長けた書で、混乱がすくなかったのも助かりました。

『基礎からわかる最新漢方入門 生薬治療の集大成』関水康晃 2013年 

 

 

中国伝統医学とそれが日本独自の医療体系となった漢方において、病は表→深部へと入っていく。

ミルフィーユのような人体の層のどの辺に病があるか、その人体は自然現象の中のどの辺にあるかの、座標を決定するような作業が弁証論。

 

西洋薬のそれもOTC薬が国ぐらいのレベルの居場所特定で、「彼女は日本国にいる」と言う時に、
漢方の弁証法は、「彼女は東京都豊島区の坂の上のアパートの、日当たりが良いけれど風のあたりが強いところにいる」ぐらいの座標を、じわじわ、と数えてピンをうつよう。

だから、今は梅雨だから鎮痛剤ねではなくて、「湿気は強い国だけれど彼女の立っているところは熱風が強いせいの火傷の炎症だから日よけと風よけも必要なんではないか」ぐらい分析して処方されるという印象。

それはそのまま、その人の物語を紡ぐことになる。
足からでも、いつもやっていたことなのだと思う。

 

人体の中に地球があるみたいな、フラクタル構造で人は病んだり回復したり強くなったりする。

 

手技療法者としての十音の手は、薬効として解表剤のようなもので、刺激としては温性で鋭く、できるだけ座標の数値を正確に読み取るものであるといいなと思います。

そして、身体の一番外側にまだいる邪を、払い散らすのをお助けします。