間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

全体性と解剖はいったりきたりするのだと思います。

 

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ある事象やモノを言い表したり表現したり、その構成する成分がわかったりすること、知識や言葉が役に立つことがある。
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だから解せなくていいから、複雑に絡み合った肉の塊をどかっと、そのまま受け容れておく時期があってよいのだと。
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それが、実は分厚い皮下脂肪が神経や血管をなかに抱いて守っていたんだとか、筋膜どうしかなりの癒着があったみたいだけれど、実は2つの束だとか教えてもらえる時がいつか来て、
そうすると後日、同じような肉の塊が再び現れたときに、ばばばっと解剖してそれぞれの部位に名を与えることができるようになる。
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名を与えられるとモノや事は、安定して、安心もする。
固定し不可逆になるというリスクもある。
壊してポリッシュしたり、鍛え直したりして、より精度の高いものを組み立て直すことができることもある。
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スコットランドである黒いモフモフを目にし、天文学者「ここの羊は黒い」物理学者「ここには黒い羊もいる」数学者「ここには少なくとも1頭の羊がおり、その1頭の少なくとも片側の側面だけは黒い」哲学者「羊とは何か? 黒いとはどういう状態か?そもそも、今、見ているこの現実は正しいのか?そのまえに、現実とは何か?正しいとは何か?などと考えている、私の考えはそもそも正しいのだろうか?」生物学者「あれはヤギだ」
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このジョークを私は好きなのですが、学者でない一般人の「羊がいる~」というのを冒頭に加えたいと思う。
この人たちはみんな同じものを自分の専門から言い表しているはず。そして、世の中には一般人のほうが多いのではと思う。その単純さというのが、生存するために必要だったと思う。
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でも、複雑なものごとだって、単純なものの絡まりだったりするのだと、繰り返し、ご献体が教えてくれる。解いて、名を与え、言い表せるようにすること自体が回復だったりする。
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話しは変わるのですが、人が何かSOSを発する場合、例えば上記の羊をお化けに入れ替えてそれぞれの人が訴えたとして、
「お化けがいるんです!」としか言わない(言えない)人と、数学者のように「少なくとも一人の、部分的に化けた人が」と言う人と、「あれは風に揺れる柳の木だ」という人が、実は同じモノコトを見ているんだということを、なんか大事にしたいなと思う夜です。
ここで今まで受け入れてきたカオスな肉の塊を解剖して言葉を掘り出す歳なんだろうな。