間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

イタリア日記 La Specola

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フェイスブックであげていた2018年6~7月のイタリア旅行の日記。

 

 

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今回の旅の目的地の一つ、ラスペーコラ美術館(博物館)。
パトロンの壮大なアイディアは地上から天空までをアートでつなぐということでした。

 

下階には鉱物系、その上に動物の剥製標本、1番上に天体観測所(いまは移転)が配置されているという徹底ぶり

 

 ↑ちょうど、ミネラルショーが開催されていました。

 

 

なのですが、
ゲーテやサドをはじめ多くのアーティストが惹かれたのはここの人体蝋標本だったようです。

 

 

 

まず、ここには小さな劇場、とガイド氏は呼んでいましたが、箱の中に小さなフィギュアで表現される様々な「死」の在り方が3箱置いてあって、其処では神も無力でキューピッドが疫病にかかっていたりします。

 

時の神の翼も、肩甲骨からはがれて 

人体のパーツを可能な限り分けて型をとり、蝋を流し込んで作った臓器を、本物の骨と、髪の毛と共に再度組み合わせた標本(血管やリンパは型がとれないので、蝋を伸ばして配置しました、スパゲッティみたいに伸ばすんです、とガイド氏)。

変色を防ぐために表面に透明な特殊加工を施したとはいえ、
ガラスケースの中でビロードの布団に寝かされている蝋の人体は解剖研究というよりも現在はアートという見方をされているようです。

しかし、一本の足に15体ぐらいは死体が必要でしたから、
この美術館の人体のために、フィレンツェの中央病院から何体の死体が運ばれたことでしょうね、とガイド氏。

今年に入ってゆっくりと、そして4月をテコに、
生と死と医学とアートの狭間に十音の居場所を探す旅をしていて、ここにこれました。

ここで語られている人体は、
系統解剖の人体をパーツに分けて名付けたいとい研究欲求とはまた少し違うように思います。
筋肉や細かい血管や神経、リンパの配置と、
輝き、
ダヴィデ像からインスパイアされたという死体のポーズ等、
人体をとても美しいと感じ、、感動をもって見つめたのだなあということがよく伝わってきます。

ある人は人体を大理石で、ある人は木で、
ある人は蝋で、
文章で、
表現したいうこと。その違い。

スペーコラの後、屋台のもつ煮込み「ランプレドット」を頬張りながら、俺たちが食っている肉というのは、つまりは筋肉か?美しいよな、と番頭が言っていて面白かったです。