間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 夏至 乃東枯

雑誌『セラピスト』(7月7日発売号)の取材からの、校正用原稿をお届けいただく。

他者さまから見た自分の物語って、すみずみまで興味深い。

取材では、まとまらない言葉をだらだらと発してしまったというのに、それが編集者さんとライターさんの認識を通過して、濾されたりして、再構成されてこのように文字として出て来る。

解りにくい芸風暗めなリフレクソロジストは感嘆しきりなのです。

 

ドーガン・インターナショナル認定リフレクソロジーは、南アフリカ共和国では国家資格であることと、”therapeutic” reflexology という名称が、医療に近いという印象を与えますが、そう言ったらどんな手技療法も、「リラックスさせること」だって、同じく医療と無関係ではないのではと思う。

 

法律の関係で日本では手技療法家は言葉に慎重になる。

質や方向が違えど「刺激で介入」しているという点ではすべての手技療法に敬意を払いたい。

そしてこのリフレクソロジーについて語るにあたっては、十音は今まで言葉を選びまくって思考を巡らせており、恐らく他人が想像してくださるよりずっと慎重に発言していると思う。

 

そのせいで宣伝文として解りにくくなることさえあるけれど。そして時々、安易に解りやすい言葉に翻訳されることもあるので、記事にしていただくときは、やはりちょっと背負ってしまう。第1号のセッションルームだからでしょうか。

 

しかし、治療と言ってはいけないという制限があることによって、治療的の「的」の字にさまざまな意味を持たせることができる。私たちは、目の前の人の心身に何をしているのだろうかということ。

 

「治します」とさらっと言えないリフレクソロジストたちは言葉をいちいち工夫しなくてはいけないけれど、それはとても人間の叡智の発揮どころということでもあるのです。

 

記事、素晴らしくて、直すところなどほとんどなくて、早くお返しできると思います。

 

梅雨の合間、爽やかに晴れた夏至の日。洗濯と、雨で汚れた窓に軽くスクイジーかけただけで、家事は放棄、まっさらな7月のカレンダーに、康治療院の脈診講座の予定だけ、書きこむ。

 

あまりにエネルギーをとられているため、それが堅実なことなのかはわからない(手技療法家としての自分に誠実なことなのかわからない)けれど、薬店での「副業」は粛々と続く。

副、と言わなければならないのだろうか。医薬品の薬理作用や成分の知識って、人の身体と向き合うにあたってとても役に立つのです。抗コリン的施術…とか。

 

医薬品に限らず人が買い物をするというエンターテインメントにかかわり、正しい成分知識でその人の人生にぴったりの商品をあてがえるというのは、もう立派な専門家であり、キャストじゃないか?とも思います。

 

大きな声での会話は避けろといわれている薬店内で、店員はなぜか大きな声であいさつをすることが許されているので、轟轟と体内にオーケストラを鳴らすように、日々発声している。

色々なキャラクターの発声でも試してみようかしら。今日は70年代風のいらっしゃいませ、とか。エレベーターウーマン(ガールとはもう言えないわ)的とか、レチタティーヴォ的とか、ロマン派オペラ的とか。