間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 小満 麦秋至

6月3日(木)

  

ある方から十音への「質問事項」をいただいて、
そういうのがわたしは大好きなので、しげしげと眺めています。

 

「ほぐしをほぐす」でもどこかで書いたけれど、
施術はひと押しひと押しが質問であり、わたしは常に「問う」ことを仕事にしているという意識があるので、
…というより、仕事では自分から「問わねばならない」と思っていて、だから私生活では他人に本当に問いがない≠興味がない状態になりつつあります…
お仕事で逆に「問うてもらう」ってとても素晴らしい発見があるのです。

 

本当は、自己問いしなくてはいけないのだけど。
問うのって結構エネルギーいりますから。自家中毒の危険もありますし。

 

それで、問われたことを見直しながら今、自分が何に価値を見出しているのかということがおのずと浮かび上がってきました。
今この時期にあっては、わたしは新しい業を起こすとか、新しい試みをするとかいうこと以上に、「以前からも、今も、これからも、そこで続けている」ということに魅力を感じます。

ただ在ること、継続には、胆力が必要です。自棄になりそうな自分はぐっとこらえ、他人を後目に、ただそこで健全な呼吸をして、棲息しているようなこと。地味です。

 

 

今日、根腐れしたオリーブについて調べながら、
鉢で植物を育てることがわたしのわがままでしかないのではないか、というくらい気持ちになってしまう。


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鉢植えをしていると、「大きくしたい、増やしたい」という欲望が募る。
わたしは子どもを持たないのですが、母性とはこういうものかと思いを馳せたりします。
すると、花が咲くと種をとりたくなり、伸びれば挿し木をしたくなり・・・・

そして、そのための「土」というのは、鉢植えの場合とても工夫が必要なのだ。
そうやって、地上の庭を持たぬ鉢植えファンは人工の土を配合して、発芽させたり根付かせたりしている。


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そして、水やりに失敗して狭い鉢の中で根っこを溺れさせたり、水切れさせたりする。
 
なんて欲深い。
そして、今日も朝のアルバイトから戻って何時間も、鉢を移動させたり、水をやったり、眺めたりする。現代人の身体は、鉢植えに近いのかもしれない。だからよく観察してみます。



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私の土、消化システムに大事な食のこと。

梅雨前でねばねばしたものが湿をたくわえそうに思い、納豆は卵とオムレツに焼く。

フワッフワでまるでスフレのような卵焼きになります。しょうゆをちょいと。

昼の食事が1番がっつりしています。夜は飲むので。