2021 清明 虹始見
4月15日(木)
「野の春」(宮本輝『流転の海』最終巻)を読み終わってしまった。
人が生まれて愛して仕事して老いて死ぬ。
短い。わたしはまだ何もしていないのに。
登場人物たちが1日に出たり入ったりしながら人人にリアルに会ってそこで人生が動いていくのを読んでいるのが好き。
SNSなんかにちまちまと時間をさきながら、こんなこと何にもならないと思ってしまう。
面倒臭がって足を運ぶことなく、小さな家スマフォで両手をいっぱいにして、その場でただぐるぐると感情を渦巻かせている自分を情けなく思う。
私は、同じ小説を何度も繰り返し読むタイプで、するとある時、登場人物が自分より年下になっていく。
何かとお別れをするような気分。
わたしは小説を読む時のほうが、現実世界より感情に素直に支配される。
「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」じゃろう?
そんな言葉を私も自分に言い聞かせて名もない人間の誠意ある時間を扱いたい。
4月19日(月)
清明のしめくくりは、けっこう闘ってしまいました。3月から満席だった昨日の「律」の一枠が、1週間前に急遽空いてしまったのです。このイベントは会場をお借りして開催しているものなので、このタイミングでキャンセルが出て埋まらなかった場合、ほとんど赤字となります。数日間、しゅんとしたような気分になって集客もせず、あきらめていたのですが、週末になってむくむくと…
今回の状況には、十音は少し怒っているんではないか?…!これまで、お客様が入らない枠は、お客様商売としてまだまだ未熟なのだと反省したり、落ち込んだりしてきた(結構小心者)のですが、今回ばかりはなんだか自分に火がついているのを感じ、これが不完全燃焼だと良い初夏が迎えられないと思ったのです。
山﨑自身が十音のために憤慨している感覚を、肯定したほうがよいのではないか。そこから猛然と、SNSでの繰り返しの告知と、今回の状況の説明をしました。知り合いが何人か、自身のコメント付きのすばらしい拡散をしてくれて、独りじゃないんだなと心強く思いました。
当然、直前告知で埋まりようもなく、奮闘したが奇跡は起こらなかったと苦笑いしながら当日午前中は、薬店仕えを。急いで帰宅し、番頭(夫)が山盛りしてくれたパスタを猛然とかきこんで「展示室showroom」へ。
予約で埋まらなかったので、路面店をするしかない。15分1000円、30分2000円。看板を貼るために準備をしていたら、あれ、展示室の常連のお客様が「足」に反応をくださって、まずお二方セッション。そして、看板を見た、以前「雑司ヶ谷手waza市」に来てくださった方が、「見たことのある名前が」と入ってきてくださって、もうひとセッション。結局、キャンセル枠は3人のお客様によって充填され、これからに続くご縁をいただき、十音の葉書をたくさん持って帰って頂いて、IMSIのセラピーフェスでのパネリスト登壇のちらしもお渡しできて…と、キャンセルしてくださってありがとうございます~!と言いたくなるぐらい有り余る恵みが降ってきて泣きっ面もふっとんでしまいました。
施術後は展示室2階でギャラリーの皆さんと軽くビール。どかんと背中を押していただいて、そうだった辛抱するんだった、とまた思う。律は、10日を切ったキャンセルにおいて、後のお客様が決まらなかった時は、会場費だけはお振込みいただくシステムにしようと思います。
そして今朝は登録販売者の従事申請のため必要な「診断書」(精神疾患、麻薬使用がないという証明書)を発行していただくために、初めての医院を訊ねる。
いつも健診をお願いしている内科がそうした書類を発行しないと断られてしまい、今まで通りがかっては気になっていた「家庭医」を訪ねたのです。受付の女性の電話でのお声が元気でハキハキで、きっといいところだと思っていたらやっぱりそうでした。
シンプルな院内。バロックな椅子が置いてある受付とか、院長室に西村佳哲さんの「かかわりかたの学び方」 始めとする著書が積み上げてあるとか、「診断書って、なんか変ですよね…」とつぶやきながらサインを下さる先生とか(そりゃそうだ、今まで話したこともない人の精神疾患や麻薬歴などどうやって証明できるというのかシステム自体がおかしい。それも3000円もかかる!)もういろいろとツボで、思わず十音の葉書を先生にお渡ししてフットケアに興味があるのだが、などと告白してしまいました。
そのあとボディケアのケースモデルを務めるために秋葉原へいく予定があったのですが、あまりに素早く証明書を発行していただいたので、その足で都庁の薬事課へ申請に行ってから向かおうかと駅へ。着いたら、JRが遅延。やはり当初のとおり地下鉄で秋葉原へ向かう。ラッキーなことにボディケアと今日はフェイシャルのケースまでしていただいて、普段ほとんど構われていない顔をほぐし、水分と油分の補給をたっぷりしていただいて、ぴかぴかになって帰宅。番頭がびっくりしていました。(ハリが違ったそうです。)
ご飯を炊いて、350ミリのビールを番頭と2人で分け、わかめをたっぷり入れた納豆、糠漬けと和えた水菜、タイムを乗せた卵焼きを食し、ベランダ薬草園でトマトの芽がたくさん出ているのを発見する。十音のご予約もいただき、またフェイシャルモデルのお話もいただく。わー、どんどんツヤツヤしちゃうぞ。
失ったとき、去る者というかコトを追わず、さっぱりと諦めることがこころの筋トレとなることもある。でも今回は成り行きと喧嘩する選択が美酒を味わわせてくれた。毎日粛々と出かける外仕事において、少し無理をしている自分も認めていて、どこかで「あたしだって喧嘩を買うときゃやるわよ」という思いが発火し始めていたというのもある。わたしが独りちょっと我慢すれば全体がうまく回るのだから、という諦めが、積もり積もると身体によくない。また、外仕事において「1000円札を拾う」自分の欲望にも苦笑していた。2年間続くある意味ストイックなライフスタイルに突入しているのですが、目的の一つに、今まで切り崩した貯金を立て直す、という項目もありました。でもそう決めたからといって、もらえないお金を追うような眼になりたくないとも強く思いました。大きな局をみないと。シンプルかつ豪胆に、大いに与えていればきっとひとりぼっちではなくなるから。