間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

2021 立春 東風解凍

2月3日(水)

 

昨日はスコセッシ監督の「カジノ」、おとといはジョン・マッデン監督の「ミズ・スローン(邦題は「女神の見えざる手」)を見たあとに、首相が「全責任」が自分にあると言ったという新聞を読んで、大変なことを言ったな、と思った。

 

映画の影響で、生きたまま土に埋められるジョー・ペシとか、不正な議員も放り込んだうえで自身も矯正施設に入るジェシカ・チャスティンの姿が「全責任をとる」だと思い込んでいるからです。企業ならクビになる、ヤクザなら見せしめの上消される、主婦の世界なら村八分…わたしにとって「全責任」ってすごくつらく重たいことなので、自身の責任は果たすけれど「全」は絶対にとらない。だって「民」って愚かでしょう。自分の力の及ばざるところで動く大衆。制御できると思っていたら大間違いだ。薬店でマスクを求める人たちに接するぐらいでもそれは骨身にしみる。国民に全責任を負わせるのが得意な政府の言う「全責任」って軽い。

 

とんでもない立春という感じですが、春に罪はありません。木の季節に入るので気が上がっておかしな言動が増えるかもしれません。でも人間のみならぬ地球上で季節的に春があるモノコトはみんなその上昇気流に向き合って、死ぬもの以外は生きているから、大丈夫じゃないかな。

 

学校教育を受けている間の春と、社会に出て働き始めてからの春はとても質が違うように感じる。学徒だったころの春の感じってなかなか抜けなくて、44歳の今でも中学生の自分の視線を思い出すことができるけれど(永遠の中二病)、社会の中での自分の立ち位置はもちろん劇的に変わってしまっているので、その差異に困る。

 

20代は対処に困るかもしれませんが、だんだん備えられるようになります。そしてこの世にはたくさんの、自分のサポーターがある、毎日が忙し過ぎて疲れているからなかなか気が付かないかもしれないけれど。

 

 

昨年7月初めに恐れ多くも卒業生の「ロールモデル」として、この行き当たりばったりキャリアパスについてお話をした90分の抄録が、他の方のお話しとともに、オンラインになりました。

授業・講演会 | お茶の水女子大学

重たい「わたしの履歴書」という感じの情報量だったのですが、かなりまとめていただいて。ご担当の皆様には本当にお世話になりました。


ご自身のキャリアの高校以降のことを俯瞰するなんて、したことありますか?
自分のキャリアからは逃げていたと思います。声楽家を目指し自ら「挫けて折れた」自分にとって、キャリアには、人間関係を含めたつらい感情となによりも身体感覚が伴っています。

 

で、そこをがっぽり削ぎ落して淡々と、得た仕事だけ書いてみるのは過去の履歴書を引っ張り出したり修士論文を見てみたりと、先行研究に基づくレポートづくりのようで、ヒマだった第1回の緊急事態宣言にはうってつけの自分メンテナンス作業でした。

 

見渡せばまあ安定から程遠いこと。上記HPの中で、なんと浮いている。
他の方のエリート感あふれる文章と並べてみて、なんと体当たり感の強く、計算されていない、コスパの悪いキャリア(笑)。

 

しかし、学生からのコメントペーパーでは、それをさまざまな言葉で言い換え、たたえて下さっていて、きつい身体の記憶が線香の煙のごとく成仏していきました。
ほんとこの学生全員を社員にして会社立ち上げたいと思うぐらい。みな知的でちょっと年上をおだてる言葉を持ってて文章が書けるなんて、素晴らしい。
世の中の会社でこの人たちを採用しないなんて人事によほど人を見る目がない。

 

前の職場で、子どもたちに音楽ホールの案内をするイベントを企画運営していて、子どもはお話しを聞いているとトンデもないところを覚えていて「サントリーホールはビールのデザインだと●●さん(わたしの旧姓)が言った」などと感想文に書いたりするので(ビールじゃない、赤ワインと言った!そもそもそこはそんなに強調点じゃない!)、今回もそういうことが起こるだろうなとは思っていましたが、「青いカラーコンタクトで面接に行った」とか「農家に住み込み1か月アルバイトした」とか、「生きているだけで金がかかる」とか言った「ポロっと」落としてしまったアドリブに食いついて感想に残すから油断ならない(笑)でも面白いですよね。

  

そして、この大学の学生に特徴的なのは、お茶大生であることにどこか居心地の悪さを感じている人が多いということ。びっくりしました。自らの思考を恥じたり、自分がふさわしくないと書いたり。あと、考えすぎて身体がおかしくなるぐらい考えるのは彼女たちの多くの特技なのですが、わたしのキャリアパスは「あまり考えすぎないで行動している」と彼女たちには映ったようで、それはよかったです。でも、独りで考え抜くのは筋力がつくのでいいことですよ。

  
女性リーダーを目指せ!というのは母校の生き残り策のようだけれど、そのわりには学生が自然体に誇り高くいられていないことが気になります。中途半端な発破はくびきになって若い彼女たちの身体を疲弊させている。発破に耐えられる強さが大事。先生たちはもっとこの学生の知性を認めてもいいんではないだろうか。それかもっと対等に語り合った上で論破されたら学生をちゃんと認めるとか。学生はなかなか俯瞰できないのだから、他を知っている大人が視点を発見させてやらないと。

 

 

大企業に就職、結婚、子育て、という路線、いいと思うのです。
論理的思考に欠けているので冒頭のジェシカ・チャスティンの役みたいなビジネスパーソンにはなれないと思うけれど、企画創造力でのし上がりデスクを持ち十分なお金をもらって余暇に回す余裕があり、若いうちに結婚して当然のように子どもを産んで、子育てと両立しながらバリバリ稼ぐ。

 

そういう自分を、そうできなくなってから想像してみました。

 

スーツが似合う、いい女であることでしょう。うふふ。仕事のできない上司をじりじりと追い詰め、傷を毎週のエステサロンで癒す。よく食べて、よく眠る。お金に心配がないから。

 

でも、それもよかったかもねって感じです。今となっては負けっぷりさえわたしの血肉です。
職種とかタイトル付けということから離れてホリスティックに見れば、
誰もが、個性的でしかないキャリアパスを描けるのではないでしょうか。
こんなのもあるよと様々なレールを見せるのは大人の役割ですね。
 

  

A4で34枚びっしりの学生たちからの感想レポートでさらっと読めるものではないのですけれど、ほんの何例か、一部を転記させてください。

 

・今日の発表を聞いて、成功というのは、色々な形を持っているんだととても強く感じました。そして、それは1つの到達点というよりも、過程であると言った方が相応しいのではないかと思いました。

 

・自分を知るということがいかに大事なのか改めて気づくことができました。ーーー常に振り返って、どう生かすべきか考える必要が本当にあるとわかりました。

 

・自分の体について知る必要があるというのは今まで考えたことがなくて、精神的な面にかなり集中してきました。しかし、今のこのような状況の中で、自分の体を知らなくてはいけなくなっていると思います。自分のケアをどうすればいいか、自分しか知ることができません。これからは、自分の体をもっと大事にしながら自分なりの人生を歩みたいと思います。

 

・全て聞いて、改めて最初の方で仰っていた「なぜ組織で働くのか」ということについて考えさせられます。フリーターでワーキングプアだとか、アルバイトで直近の収入を得るだとか、私は正直そんな働き方は「負け」だと思っていました。でも山﨑さんはそういった一見社会的に評価されにくい経験も含めて、今のお仕事に生かされているんだなと感じます。「仕事はなんやかんやつながっていて結局あなたを密度濃くしてくれる」という言葉もありましたが、どんな仕事でも、むしろそれが一般的なキャリアではないからこそ、プラスに働くことがあるんだなと知りました。

  

・音楽とリフレクソロジーは一見関係ないように思えたが、リフレクソロジーを受けることでその時間元気になるという仕組みは同じだと思った。

  

2月5日(金)

 

こういう方向でよい、と感じる。昨夜ヒューマン・ポテンシャル・ラボでの小笠原和葉さんによる「レジリエント・ボディ」を聴講して、この1年で、案外自分の身体が強くなっているのではないかと感じたからです。

life-practice.h-potential.org


同調しなかったために異音として痛い目に合ったが、結果自分の輪郭がはっきりしてきてないか?

 

不協和音のうちの、調和を乱す音のように、なぜそうなっちゃうのよと(人から眼をつけられるというよりも)、自意識過剰に自分が眼をつける。そして哀しい、キツイ、と落ち込むが元来見栄っぱりなのでタダじゃ起き上がらないぞと、ひそかに決心すればいいものを宣言するからまた刺激が強い。そして宣言したからには起き上がったところを見せるぞと気張るが何度も失敗する。
自己嫌悪ってこういう感じですよね、ということを世界の端っこで繰り返していたにすぎないけれど、上記ルートの起点から最後まで、自分に嘘はついていないので、結果ひとまわり大きくなり、筋力が付いているのだ。
さわれない時代の手技療法者でいるということを強く言うのも良しですし、
さわれないんだから今は手技療法者ではなく別のことやる、というのでも、
自分は自分を言祝ぐだろうと思う。

 

春って、頭がパカーと開いちゃうイメージというか、なんでも直撃で入ってきて自分もダイレクトに届けちゃうようなところがあるので、冬の冷たさで得た自分の輪郭を思い出すような時間が必要だ。
例えば、帰りの電車でずっとツイッターを見ていて、ロクでもないニュースや人の怒りに触れて自分も怒りモードでいっぱいになったまま帰宅するのは、せっかくのホームがもったいない。電車を降りててくてくと歩く間に自分の足音を聞くだけでも、自分は取り戻せる。大体、自分程度のフォロワーでは誰にいいねしようと、リツイートしようと、大した拡散にはならない。そのニュースを知ってしまう前と後ではいくつか細胞が入れ替わっているかもしれないけれど、ニュース自体に身体が乗っ取られるようなことは避けたい。
恐らく人が、人間関係でトラブルを起こすときも、自分を何かいやなエネルギーに乗っ取らせているのだと思う。
腹を立てた他人のセリフを「 」付きで、直接話法で言うのはその乗っ取りにあう危険があるので、春夏は避けたいなと思う。理解してもらいにくいが、間接話法で行くのだ。

「ヤツは『お前もっと場をわきまえろ』なんて言うのよ」と
「ヤツはわたしにもっと場をわきまえろなんて言うのよ」とでは、
言う時の呼吸が違うし、乗っ取られる度合いも違うということ。
大抵、『 』の中身の演技って聞かされる相手がうんざりするほど下手なのに、愚痴るほうは再現したくなっちゃうのですよね。

 

2月7日(日)

 

今日は土の計画にもってこいの天気です。


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熟成の進んだコンポスト。珈琲かすや、芋の皮や、卵の殻が、このように。十音家では1週間に卵の殻が1ダースは出るのですが、みんな土になりました。

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4月、園芸シーズンが来るとフェルトの植木鉢が品薄になると思います。

昨年は在宅が始まった時期でもあって。

ベランダコンポストやろっかな、と考えていらっしゃる方は、今のうちに円柱型植木鉢、手にいれることをオススメします。同じ円周のものを2枚組み合わせます。

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さて悩ましいのはこの鉢。


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縮みほうれん草のように虎視眈々としているのはレモンバーム。夏には樹高50センチぐらいに爆発するつもり。周りに生存しているセージはもはや根っこを捉えられ植え替えが難しそう。新しく種を蒔くかな。

種まきが4月以降とされているハーブは、今の気候だと前倒しにしてやったほうが虫害や熱害が少なくいけそうと踏んでいるのですが、どうでしょうか。

  

土の計画は、水の計画でもあり、風の計画でもあります。

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これぐらいの鉢でも、夏は毎日10リットルぐらい消費し、しかもそれぞれの鉢から流れ出た水は排水行きなのがとても気になっていました。

今回、いくつか水食いのレモンなどの鉢には鉢皿を引いたり、土面にもう一つ小さな鉢を重ねたりと水計画。

お気に入りは、兼ねてからこうしようと計画していたジャスミンです!


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なんて美しいんだ。うっとりです。花芽も出てきました。

 

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今日のところの十音の庭。眺めるだけで旅ができます。