間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

糠床日記

オーケストラの事務局を辞めて以来あまり聴けなかった弦楽四重奏を先日久しぶりに聴いた。
 
わたしは事務局時代、室内楽の担当だったので、恐らく年間100回以上、弦楽四重奏木管五重奏、金管五重奏のリハーサルを「聴く」ことができるという、なかなかないだろう経験をしました。
 
中でも弦楽四重奏はリハーサルが始まった途端に、自分の打合せ、会場設営、音楽家への告知といういわゆる「マネジメント」部分が上手くいっていたかマズかったかというのが突きつけられるようで、まあ、ばかみたいに背負ってたのです。いくつものシンポジウムや研究会にも行ったけれど、音楽マネジメントという言葉は今でも好きになれません。事件は現場で、孤独にまた有機的に突きつけられてばっかりでした。
 
しかし弦楽四重奏のリハーサルを聴いて、わたしはやっと音楽っていいなと思ったと思う。特に、4人がそれぞれの役割を楽しんで果たしていられるときは何かの縮図がそこにあるようで、リハにひとりただの人としている自分もアンサンブルの一員のような気分になりました。
 
ペーペーのころ、初めて楽屋から「行ってきます」と声をかけてくれたのも、辞めるときにロビーで「また来てね」と言ってくれたのも、オーケストラの弦楽器奏者、というよりは、同じ弦楽四重奏のメンバーだったなと思います。
 
まあそんなこんなで、人間というもののあれもこれも思い出す弦楽四重奏ですが、このたび波多野先生が共演されたので、聴くことができました。
   
客席で聴く弦楽四重奏は余計なことを考えずに味わえて、みなさんとてもいきいきしていて、ああ、素晴らしい音楽家、いいホール、いいスタッフ、いいリハであり、わたしたち聴衆もその場にいることを認められているんだな…とすべてひっくるめ讃えあう。
弓の動きが息の流れ、
だからオーケストラでは前に座っている弦奏者のことをよく見るんです、と言っていた管楽器の方がいた。
発音は息によるものではないのに、一番風が吹くように感じるのは弦楽器のアンサンブルだなと思う。音が吹いていく。
 
ヴォーン・ウィリアムズの「はるか遠く、夕べと朝の方角から」が、モンテヴェルディオルフェオの冒頭ムジカみたいな空気感、人は世界を見渡すとこういう音になるのかな。
「すかーっと歌い放つ」音楽の女神とはまた違う、詩の人のロマンがありました。
 
ウェンロックって、画像で引くとロンドンオリンピックのマスコットしか出てこないのですが、どんな断崖なんだろう。行ってみたい。