間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

ほぐしをほぐすVol.1 ほぐしをほぐす~セラピストのコリほぐし~Vol.1⑦一番フラットな自分に戻る

ayakoxyamazaki.wixsite.com

 

十音――皆さんに「コリ」のことを事前に訊いたら、

皆さんすごいんです。

箇条書きされているんです。

「身体は、ここ」「こころは、ここ」って分けて。

 

小松――頼んでもいないのに!

 

 

 

――頼んでないのに!笑 

訳のわからない、解らないことを

楽しもうって呼びかけたのに、

みんなちゃんと「分けて名づけて」いるからびっくりしました。

 

(参加者名簿を見ながら)

身体のコリと心のくせの連動の話もいただいていますね。

自分のコリをどうほぐすか、心身ともに、

みたいなのも。

 

さっきの解剖の話でいうと、

コリを探しても探しても明確に見つからないって時に、

コリってなんだろう

…と考えたら、「神経緊張」だなと。

 

姿勢もいいけれどコっているひともいる。

姿勢が悪くても幸せそうな人もいる。

 

私なんかはスイッチングが強いので、

少しアクセルを踏むと

ゴミを捨てに行く程度の仕事も、大役も、

割と同じようにアクセルが入って、緊張します。

 

だから身体も固い。

前屈も放っておくと床上30センチ。

 

でも最近ロルフィングの、

柔軟性を高めるクラスに出た時、

「目をここに集中したまま前屈してみましょ」

みたいな他愛もない話をするんです。

すると、あれー!柔らかい!

私、全然固くないじゃんということなんです。

 

 

 

――さっきの、「脳をだます」と同じ…

 

そう。あと神経の使い方ですね。

緊張のスイッチを取る神経の使い方ができるスイッチが、

たまたま目をここに集中することだった。

 

それができれば私の身体は固くない、

ということを知った時に、

「私の固さって、たぶん全部、メンタルからなんだわ」って。

 

それから言うと、

私がもしトラウマとかを取るワークをやっていったら、

私はもっと柔軟性が増すのではというところにいて。

 

ただ、さっきも言ったように、

「良くも悪くもトラウマの連続がある種、

今の私を作っている」ということでもあるから。

 

参加者:ほー

 

こころと身体のコリがつながっている、

というのも、一つの回答。

「コリ=神経緊張」という。

 

ただ、同じ状況に対して私は神経緊張を覚えるけれど、

他の方は感じないというのもありますよね。

正義感が強くて怒りがコリのスイッチになる方もいる。

 

みんなコリのスイッチは違うと思うんですけれど、

そのスイッチに対してフラットな姿勢を覚えるということが、

コリを解すということではと思います。

 

どうやったら、それがフラットな姿勢になるのか。

そのアプローチはいっぱいあって、

皆さんセラピーをされているわけですから、

どの扉が好きかな、と。

 

「私が入りやすいのはここだったわ」とか。

それもご縁でしかないと思うんですけれど。

 

 

 

――セラピー以外のところからそれを得たりするかもしれませんね。

 

そうそう。

だから芸術ってすごいなと思うのは、

人生を変えた映画、とか音楽とかってよく挙がりますが、

あれは、

自分の神経の反応に「カツーン」と来て、

ぱあっと目から鱗が落ちて、

色々がざわっと変わるという、

とてもわかりやすいセラピーの形態だと思う。

だから芸術はセラピーだなと思いますし。

 

 

最近よく思っていることをお話してもいいですか。

このイベントページにも載っていた、

私が踊っている写真の「ジャジューカ」のことに戻ります。

 

(小松さんのブログ:究極の癒しの音楽を求めて〜ジャジューカ紀行 より)

 

 

 

 

ジャジューカって

ロッコの本当に小さな村なんですけれど、

有名なロックミュージシャン

ローリング・ストーンズブライアン・ジョーンズ)が

その村の音楽を採取して、

後にドラッグのオーバードウズで亡くなってしまったんです。

 

彼が死んで伝説になったおかげで、

彼が最後に録音した音楽ということもあって

世界的に有名になってしまった。

 

ロッコの人はジャジューカ村のことを知らないのに、

世界の人がジャジューカ村のことを知っているという事態が起きました。

 

私もこの村はどこにあるんだろうって思っていたら、

数年前にその村に出会うきっかけをもらい、

毎年この村がやっている

全世界で50人限定参加というフェスティバルに一昨年行ってきました。

 

全世界で50人ていうと聞こえはいいんですけれど、

単に村の集会所の許容が50人なのと、

宿泊施設がない村なので、

演奏しているおじちゃん家に泊まるんですよ。分散して。

 

演奏終わったら、「帰るぞ」って言って

ロバ引きながら帰るっていうね。深夜3時に。

それを3日3晩やるんです。

 

ジャジューカ村ってどういうところって言うと、

イスラム教の中でも「スーフィー」と呼ばれる形態の

小さな村です。

 

基本的にはイスラムは歌とか踊りを禁止しています。

でもスーフィーでは、

神と合一するのに音とか踊りとかを使う。

 

その、音を奏でる専門職のおじさんたちが村にいて、

それがマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ。

 

太鼓と笛だけのすごいトランスミュージックなんです。

ドンツクドンツク演奏されて、ただ踊る。

 

彼らはイスラムの神と一緒になりたいという思いでそれをやっているんだけれど、

実際踊ってみると…。

 

ちょっと秘教的な話になりますが…。

私はキリスト教というのは

キリスト経由で何がしかのユニバーサルゴッドにつながり、

イスラム教は、

アッラーの神経由のユニバーサルゴッドがいるのではないかと考えていて。

 

昔はそれぞれの地域の神に祈ることが、

行き止まりだと思っていたんだけれど、

もしかしたらユニバーサルゴッドはチーム、

あるいは一緒のものかもしれないと考えています。

 

だとしたら、ユニバーサルゴッドを目指して

何がしかの宗教儀式をするとき、

踊りながら行った先というのは、

私がミニマルテクノで一晩中踊っていた時と

なんら変わりはないのではないかと思ったりする。

 

 

 

たぶん、自身の内側なんです。神って。

ジャジューカで踊るのは、

瞑想の状態に入る感じなんです。

 

一番自分の素の、フラットな感じにぽかーんとなる、

というのが踊りで行き着く先。

ただ、彼らはイスラムの教義にのっとっているから、

イスラムの神だと思っているけれど、

私はそこは瞑想状態だと思っていました。

そして、この空間のこの感じは前にもあったなと。

 

例えば、解剖って5日間の超集中状態が続くのですが、

その時に死体を前にしてあの作業をしているときに、

入った涅槃とこの世の境目というゾーンと一緒の感覚。

 

あとエジプトでピラミッドの中を貸切にして

2時間瞑想しましたが、

そこで行った先も多分一緒。

あくまでも個人の感想ですが。

 

だから「芸術は癒し」と言ったりするし、

「セラピストは癒しをしている」と言われますが、

癒しって、ほぐしに、ほぐしに、解していくと

一番フラットな自分に戻るという感じ

 

そのフラットさが度を越えると、

魂レベルまでのフラットさに戻る。

 

芸術家というのは

そのゾーンの入り口がツールとして

絵だったり、音だったりという形で持っている。

 

だから結局、みんなの行きたいところ…

「癒しの山に登って、どこに行きたいのか」は

一番自分がフラットな世界なのかな。

 

…っていうすごくマニアックな話をする会でよかったですよね?笑

 

――そのとおりです。笑