知ったこと。
昨夜セッションを終えた珍客と食卓を挟みながら、
「自分事にならないとほんと、知らないよね」という話になりました。
どちらも2019年の台風の被災者が一親等以内にいるため、
現場に行ったので、
破壊力は眼で見て耳で聞いたショックで覚えているのですが、
自分の及ぶところに被害がなかった方は
もう台風のことも忘れているだろうということは、よく解る。
与えられた時間に、自分を満足させることもできないのに、
他人の不足に気を回している余裕がない!ということも。
ちらりと見えたものを、2度見してきちんと知るエネルギーさえないのに、
ちらりとさえ見えないものを知ろうとすることなどできないということも。
千葉はまだまだ、ブルーシートが消えません。
そして、張ったシートがもうとっくに後の風で飛んじゃって、
雨が部屋のなかに注ぎ込むのを為す術もなく、
暮らしている人がいるのでした。
(南房総の夫の実家の、何軒かとなりがそう)
あの台風の風の向きでそういう状態になった末に、
職人さんがいないのでほっとかれている個人の家は、
結構あるんですね。
おばあちゃんが一人暮らししてたりする。
かくいうわたしも、義母のレスキュー以外何もできていないなあ。
首里城のほうはチャリティに参加させていただいたけれど、
それは、沖縄県が、寄付をまっとうに使ってくれるのではないかという
信頼があったから。
被災した個人に直接お金を届ける以外、
正直あまり信用できなくなっているというのが
わたしが固まっている理由です。
知らないことが多い。
ツイッターに「流れて来た」この投稿も興味深かった。
2020年わたしはゴーンで始まりました…新聞がそれしか載せてなかったし。
国民性の違い、何が正義か、ということに関しては、
ふわーっと「多様性を受け容れる~」とか言ってないで、
この事件をうんと観察しましょう、と思う。
前職で自作の「チェロに乗って」という曲を演奏してくださった奏者がおられ、
彼は「子どもが楽しそうに、チェロに乗って冒険しているんです」
と説明してくれたのを思い出しました。