中つ歳
「さらば。いいわねえ、海外旅行」
という低い声が聞こえて、周りを見渡したけれどその声を発しそうな50代女性はいないのだった。
背中にその声を投げかけられた学生は、なんだか恥ずかしそうに大きなスーツケースを転がしそそくさとホームへ降りて行った。
いや、海外旅行じゃなくて、本番のドレスでも入ってるんじゃないかな、楽器ケース背中に背負ってたし。忘れ物を確認するためか、空いている車内の床にケースを広げて中を確認していたし。
とわたしは思いながら、冒頭の声の個性が気になってもう一度車内に目をやったが、どう見てもその声を発したのは、一番前の車両の運転室に背中をつけているわたしの左で、ドアの周りで落ち着かなく座ったり立ったりしている、身長130センチの女の子なのだった。
子どもには恥をかかされる。
話しかけても答えてくれないことが多いし、乳幼児にいたっては泣かれたらどうしようとか思うから。
しかし、最近3か月とか6か月とかの赤ちゃんから学んだのは、「別にぼくらはアナタを無視しようとしているんじゃなくて、ただ、この何かを表現しているだけっす」「無視しているんじゃなくて、声はかけられたのは判るけれどなんと答えてよいかわからなかっただけっす」ということ。
江古田とかで乳幼児を抱いていて、母を求めて彼らが泣いても、
泣きやませようとするとお母さんもそわそわする。
抱いているわたしが動揺せずに泣かせているとお母さんも安心する。
彼らにとって泣くのは生きることだし、
彼らにとって混乱するのは生きること。
すべてが初めてだから無理もない。
抱いたところでギャン泣きされようと、車内で泣き叫んでいるのがいようと、子どもに無視されようと、気にしなくなった。こらー、走るんじゃないよ、と声をかけるのも平気になった。
同類ですから。
それで、その「さらば」の子どもをおもしろーい、と俄然興味がわいてしまったわたしはiPadを閉じて、ちらちらと観察してみる。
女の子はドアのまわりをくるくる回りながら大人を観察していて、もちろんわたしが興味津々なのもわかっていて、微妙な距離感であと一駅というところに来たところで、
「次はどっちかな」
とつぶやいたのだった。
わたしの半径50㎝で言われたので私に問いかけたのだろうと思って、
出口?こっちがあくと思うよ。
と指さしたら
トールなiPad女が口をきいたのでちょっとびっくりしたようだった。
ありがとうございます と言われわたしも世の中の子どもが礼を言ったのでびっくりしてしまった。
「地上の出口のことですか?」
「いや、ここの(と女の子は床を指さした)ふつう、『お出口は左です』とかアナウンスされるから」
「そうですね(でもメトロはしないかも。あなたの首にかかっているのはスイカなので、きっといつもはJRを使っているのだろう)、わたしいつもここで降りるからわかるんです」
となんであたしが敬語使ってるんだか、
ドアが開いたとたんにその子はホームを全力でかけて行ってしまったので、
袖すりあっただけで取り残されたがなんだか豊かなものを残して行く女の子だった。
この土用休みに洗い流したいいくつかのことの中の、大事な1つ、
子どもをもつかどうかということについて、夫と話し、
「もたない」という最終決断をした。
結婚当初からもたないだろうなという雰囲気はあったのだが、
夫からの主体的な意見を聞いていなかったのを、言わせたという感じだろうか。
まあ予想をしていたこととはいえ、わたし少し荒れました。
わたしと夫の子どもに期待する人もいたし、わたしも生んだら面白そうとは思っていたし、お金は1人分ぐらいはなんとかなるだろうとか思ったし、少子化には申し訳ないね、母の日ごとに「母であるぞ」とアピールするかのような他人のSNSの投稿にうんざりしたりもしていた。母になるかならないかで女性が分断されているようでつまらなかった。
今までの生理痛全部がムダだったように思い、
これからのPMSが全部ムダのように思い、
子どももたないのに更年期とか必要ない~とか思って落ち込んだりしました。
夫の受け流す力にも救われ
今はけっこうすっきりしていて、
これから閉経まで店で一番高い生理用品をつかって快適に過ごそうっと
リフレクソロジーやオイルマッサージ
植物精油の力も借りて、
自然に助けてもらって「さらに」いい女になるんだ~
どこにでも行けるし、
場所に執着もしないし、
何者からも、愛されたら愛すかどうかはわからないが、
わたしを愛さない何者も愛すことはない
とか思ってます。
これからのヤマザキ家の生き方に自分で勝手に期待。
最近の変化。
初めてあってもう一生会わないかもしれない通りすがりの人に声をかけるのが平気になった。
先日も雑司が谷をドローンが飛んでいて、道で見上げているおじさんと盛り上がった。
ミドルエイジってこういうことなのかも。