間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

オーケストラはホリスティック。

人の身体に携わるようになって、
オーケストラの体験が変わりました。
いい演奏会にあたると、
ホール全体が、舞台上の個々の演奏家を臓器とした、巨大で活き活きとした人体に感じられるようになったのです。

 

指揮者を心臓として、濃い血液が舞台の一番奥の演奏家まで届き、
そこから愛ある演奏として還ってきているのが見える。
包み込むホールは骨格であり、皮膚として、聴衆であるわたしたちのことも包み込んでどんどん潤う。聴衆は、消化器系(笑)。
ホールは、素敵な演奏があると、本当に狂喜して、ハラを揺らして笑うのだ!
舞台上から風がくる。

 

オーケストラのオフィスにおいて広報部のウェブ担当もしていたからでしょうか、
わたしは耳から聞こえてくる音楽をアタマで理解したり、
分析したりしようとする傾向が強く、
無理やりにでも「コトバ」を取り出さねばならないと自分を追い立ててもいました。

 

その聴き方も、ある意味筋トレ的に、
仕事として芸術に関わることの大きな筋肉として私のなかに残ってくれている。

 

けれど頭脳を忘れて、感覚的に「ちょう個人的に」音楽に浸る幸せときたら。

 

時には、どこか血行不良で冷え性の臓器がありそうなコンサートもあります。
細胞が疲れていたり、臓器間の相性が悪かったり、
包み込む有機的な筋肉であるところのホールと相性が悪いこともある。

 

小さな胚に最初に生まれたハート、心臓としての指揮者、
大森大輝さんだって、何年も前には、
移植された他臓器たちを相手に血を送り出そうと奮闘し、
=1:100 の関係の前に難儀したことだろうと思う。
なにせ、2015年フルオーケストラを組織した時点で彼は高校2年生。

 

そんな彼らの、 

ヴィルトゥオーゾ・ユース・オーケストラ(VYO) 

 

気が狂ったプログラムを2019年狂乱の世間の仕事納めの日に聴くことになる。

オール・チャイコフスキー・プログラム
交響曲5番→ピアノ協奏曲2番→ピアノ協奏曲1番→交響曲6番って…

午後4時開演で6時までが第1部。
1時間の休憩のあと、7時開演の9時15分までが第2部って… 


加えて午後3時からは、舞台上で弦楽六重奏をやっている人たちもいるという、
底なしの体力と弾きたい気持ちがなせる業。


そこに演奏できる舞台がある万歳!ならば時間の限り弾き続ける本番三昧!
雑司ヶ谷手waza市もびっくりのマゾなフェスティバル状態です。

 
偶然本番前に会った指揮者から、
では、4時間頑張ってください〜
と声をかけられたのですが、どっちのセリフだ 笑

 

そういえば、
前職上やや偏った組み合わせでチャイコフスキー(特に交響曲第5番)が刻み込まれているわたしは、
ちょっとやそっとの音では血が沸かない身体となっているのですが、

 

果たしてVYOの舞台上には、
「心臓」と「臓器」の1:1の交歓が100集まって
ごおっと動いているみたいな人体=小宇宙が見えました。

 

そして、この臓器たちは、
音楽以前にまず「音」をすごく愛していることが伝わってくる。
音楽そのものとして動く身体がまたしっかりしていて健やか。
このような音と連なりを出したい、という強い意志を
がっつりと受け容れて崩壊しない身体。

 
特にコンサート・ミストレスは心臓の次にできて各臓器にメッセージを送り続ける肝臓として素晴らしかった!彼女が指揮者の意思を受けて音を出す動作を「見ている」だけで、こっちも何かが解毒されて流れていったもの。

 

4時間コンサートひえーと思っていたのにあっという間にたってしまう。
その間、かようにリベラル・アーツ的に音楽と関わる術を、
今までの体験すべてがわたしに与えてくれたのだということを思い、
その表現が私の場合はリフレクソロジーを通して噴き出すこと、
そういうふうにここに呼ばれているという感慨にふける。
  

ホールに生まれる、指揮者を心臓とした巨大な有機体。
楽譜を素直に音楽に変換する身体は眼福。
チャイコフスキーの作品に乗って届けられる音楽家たちの愛。
そのメッセージを受け取って消化するわたしたち。

 

あんまり若い刺激物なので食あたりした人もいるかもしれないけれど。

 

そして、これが年間100回以上本番をするプロフェッショナルとなってずっと保ち続けられる刺激かは、わからないけれど、

 

まぎれもない「今」だけの有機体。一部になれてよかったです。

 

 

大森大輝さんに初めてあったのは、
高校に情報が出ていたから、と彼が
マイケル・スペンサーの音楽ワークショップファシリテーター養成講座に
もちろん最年少で、飛び込んできたときでした。

 

親睦会への自身の参加費を、受講生(大人)たちへのファンドレイジングで賄ってしまったのはびっくりで、
そのリターンが「肩もみ」だったのも素敵でしたけれど、
何よりも大人たちは彼に親睦会へ参加してほしくて、みんな喜んで投資してしまったのでした。

しっかり者で、混沌としており、哲学的で、ロマンチストで、真剣で、ユーモラスで愛らしく、常に何かに怒ったり失望したりしている。という印象。つまり、味のある。

 

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