間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

調子を合わせる、または合わない話。

toning
 
奇しくも今日は、

月に1度程度ある

グレゴリオ聖歌ルネサンスの宗教曲を歌わせてもらう日。

  

ここのところずっと。

ここで歌う場合にだけどうしても、わずか自分の声が暗い。

 

…暗いなあ。

 

具体的に言うと、全篇において標準とされる音より低いのだ。

 

この場合、芸風(暗め)では片づけられないため、

どうして合わないのだろうと疑問してみたところ、

なんとこの共同体で使う標準音がそもそも、

わたしが身体に入れてきた音よりほんの少し高いのでした。

 

1音の中の差なのですが。

 

何度やってもその高さに合わない、自分の微分の頑固さにあきれ果てる。

 

この夏は右耳と左耳から認知する音がずっと半音違って気分が悪かったのですが、

秋になりそこは一体化してすっきりしました。

 

そして、自分の中に音の矛盾を抱えたまま

他の人の調子を触れて聴くというのは興味深い体験でした。

 

音には場と同じぐらい気を配りたいと思う。

また音の始まりと終わりに。

それは触れ始めと手を離す瞬間に似たものがあるから。

そこには愛があるか?と問う瞬間でもあるから。

 

自分の持つ音の頑固さを直視すると、

他人の調子に音で介入するしないの妙が感じられると思うので…

そして、自分の世界がもう少し多様であることとか、

ポテンシャルを感じることもできる。

 

同じ色に明度があることを知ると描く世界が豊かになるように、

音の明度に気を留めてみたい。

 

音楽をやっているとリベラル・アーツ的に糸口があって面白いのですが、

 

もういくつかの本日の眼からウロコなセリフとしては、
「人間の低音が退化してきてるんだと思うんですよね」
というのが。
 

 

これ 中国武術とかアンサンブルとか反射を全部含めたマニアックな十音の施術体験記書いて下さった指揮者で声楽家の櫻井元希氏の東横線内のセリフ。

 

だって高音が出るようにと鍛える方向でしたもん。基礎教育が。

 

それについても

足の第5趾、退化しているよね、と同じく

思うところがたくさんあるので書きたいのですが、

タイムオーバーにてまた今度。

 

みなさまよい12月をお迎えください。

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