間と食卓と調子~リフレクソロジー雑司が谷十音

日々のあいま、リフレクソロジーで聴く、心とからだの調子。リフレクソロジスト山﨑絢子のブログ。

十音イタリア・ルネサンス巡礼!⑦

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 「人体」展でも

解剖のパイオニアとして紹介されていたガレノスさん。

2世紀のローマ帝国人なので、そういう恰好をされています。

 

「ファブリカ」を書いたヴェサリウスが16世紀だから、

本当に長い間、1400年ぐらい、人は自分たちの身体について新しいことを唱えられなかったということですね。

 

下の写真の正面が教壇です。

皮膚をとった状態の2人の男性(それも二人とも内側向き)に支えられ、

天蓋の上には人の大腿骨を持った天使が立ってます。

 

ただ、皮膚をとった男、というのは言われなければ、

皮膚もついているけれどすごく痩せた男ぐらいに感じられます。

むしろ絵画や彫刻の「筋」の表現がなまなましいからなんですけれど。

 

 

 

 旧ボローニャ大学の、最初の研究棟だったアルキジンナジオ館。

パドヴァ大学よりも広く、この解剖学教室も含め一般公開されています。

学生は手すりによって立つのではなくて、座れるようになっていました。

大きな窓もあり、明るいです。

 

 

 

ここは空襲の被害をうけて懸命に修復されていますが、

劇場の形は再現されているでしょうから、

この穏やかな形がどうして

パドヴァに行ってあのようにすさまじい逆円錐形になったのか、

なぜパドヴァは暗く、墓場のような地下部を設けることになったのか、

解剖する人たちに思うところがあったと同時に、

解剖を興味で見に来る人たちの願いもあるのかなと思います。

より「劇場」形にしたということでしょうか。

 

確かに解剖したあとの体組織をどんどん下に落としていくほうが、

学生には見えやすかったでしょう。

 

 

 

 

 

 

すごく立派な建物ですが、

パドヴァと違って、現在も学生が行き来しているわけではないので、

十音的には色っぽさ(ロマン)に欠ける。

 

 

 

大講義室から一部だけ見せてもらえる、

ボローニャ大の図書館です!

正面の肖像画の右下が、古い解剖学の書架になっていて、

そばで眺めたかった!

 

 

 

観光客では入ることができないので、廊下に並んだ図書館紹介で満足します。

上の写真が黎明期の解剖学教室ですね。

先生は、正面天蓋の下から指示を出しているそうです。

 

 

 

15世紀の手相学(と、カバラ神秘主義論がはいっているらしいが)の資料ですって。

 

実は、ボローニャでもう一つリストアップしていた、

パラッツォ・ポッジ博物館

こちらは、お産に関する解剖学関連の、蝋モデルなどのコレクションが豊富で、

ぜひ行きたかった(し、アルキジンナジオと同じ日に行けないことはなかったのに)、

なぜか、アルキジンナジオに行っただけで満足してしまい、すっかり忘れました。

 

ポッジは新ボローニャ大学付属のミュージアムとなっています。

写真を見る限り、フィレンツェのラ・スペーコラにアート度では負けますが、

「生」の瞬間にフォーカスしているところは見たかった。

こちらの解剖台も、天板は大理石でできているようで、

やはりパイ生地を練る天板と同じく、温度がなるべく低く保てるようにしてあるのだな。

 

 

 

大学の街なので、本屋に入ってみました。

イタリアの本屋は、哲学の本が表のほうにあるところが多く、興味深かった。

そして、子どものための人体解説の本が多種多様です!

 

じっくりと絵で解説してあるものから、

皮膚をめくると筋肉、筋肉をめくると骨が出て来るような

複層絵本などもあるのですが、

十音とセッションルームにきた本はこちらです。

 

 

 

 

赤いフィルタは、顕微鏡。

青いフィルタは、虫眼鏡。

緑のフィルタは、聴診器。

 

これでアイスクリームのいい匂いを嗅いでいる男の人を見てみると…

 

 

 

 

 

きれいなセーターです。

「わたしたちは、息をしないでは生きてはいけません。」

 

赤で見てみると、

 

 

「肺は、肋骨でしっかり保護されているんだ。」

 

 

ちなみに青で見ると、

空気が気道を通って肺にいくのが見えます!

 

ぜひセッションルームでやってみてください。

 

そして、お約束ですが、

 

 
 
 

 

予算切れで装飾半分で終了!のドゥオーモと、

二つの家が競って建てたが斜めに傾いてしまい、ダンテもびっくり!の2本の塔。

 

もちろんドゥオーモは聖なる場所でもあるのですが、

斜塔は牢としても使われたとのことで、

この世紀の未完と不良建築を恥じずに、観光資源にしてしまうギリギリ感。

質実で美しい街なのですが、

ここのスポットはちょっと異彩を放っています。