2021 白露 玄鳥去
「わかる」
ということは私にとって「言葉(とか単語)にできる」ということなんですけど
(それは分析グセというのかもしれないけれど)
あまり分けないほうがいいことも
ときには言葉の一歩手前の段階で(黒白つかずグレイで、面倒で重たくて非常に胆力がいるんだが)抱えて持っておくというのも大事だったり
というのは
土を形にして焼くと自然界に不可逆になってしまうように
言葉にした途端にとけないものとして定着するので
何度も反芻することが可能になってしまうので
それが、新しい視点を得る妨げに
なったりもする
言葉にした途端にデータ量が減るので
言葉のヘリを脛骨のフチみたいに
なぞって満足してしまいそう
土を土のまま抱えておくには
胃力が必要で
わからないままにしとくということの
潜在力というか
歳をとればとるほどもしかしたら
焦って早くわかりたくなるのかもしれないし
分けたくなるのかもしれないし
知ったかぶりが1番かっこ悪かろうね
分からないという言い方を身に着け
いつも、「わかんねー!分けられないです!」と言っていたい。
でも境界のわからない他者から
自分の分けどころを教わりたくはない
自分の指で探って私だけのラインを斬り
やっぱり、言葉にしていたい
というのは多分、ミドルオブ中年だからかな
体力的にも立場的にも