tonenoteトオンノオト
文字の世界、文章の世界にいい恩恵を落としていないところがこの五輪の悲しいところ。
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「スポーツとアスリートこそ」という言葉がドロっと最後に出て、
まあ最初のころ推進委員会の人がサッカーだいすきで文化なんてどうでも良さそうだったところから怪しいなーと思っていたのだが、
やっぱり最後はアスリート身体精神力頼みなのだな。
「〇〇こそ社会を変えられる」
というセリフはすごく傲慢で視野が狭い。
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東京五輪が決まったとき、まだオーケストラのスタッフをしていた。
ロンドン五輪でラトル指揮で出演したLSOのマネジャーが来日し、何かのノウハウを話してくれるというので在京オケのイベント担当的な立場の方たちがブリティッシュ・カウンシルに集まったのを覚えている。
そこで「ぶっちゃけ、何がLSOが出演を勝ち取る決め手でしたか」という質問が出て、事前の教育プログラムのネットワークだと誇らしげに答えるマネジャー。
(そんなの今回何かに役に立ったかしら?)
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オーケストラという芸術文化団体全体の知名度向上に繋がりましたか?
質問してみた。
興味深い質問ね…
と顎を撫でながら考えた末、
開会式は成功しました、誰もがあの演出に笑ってくれたでしょう、でも閉会式にはオーケストラを出演させられなかった
とお答えになったと思う。
アスリートの精神力と身体を鍛えるプロセスに本当に敬意。
それは文章にするまでもなく解りやすく受け取りやすい。元気ももたらすかもしれない。
でもやっぱり、言語と文章で残すところに人間の叡智があるなと私は思うので、この五輪には何だか人間のいいところが出ないなと物足りない。
文化プログラム、などと分けなくても文化の香りがするのがスポーツの素敵なところだろうし、その反対もそうなのではないかな、
鍛えていくこととか、凝縮していくこととか、その瞬間でないと体験できないシーンを目指したり、時の残酷さというところでスポーツにも文化にも共通している人間の輝き。
あまりまとめられないけど…